Idiom に見るローカリゼーションツールの実例
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今回は、side A のエントリ、「# ローカリゼーションと翻訳の乖離」と連動しています。あらかじめご了承ください。
Idiom というローカリゼーションプラットフォームがあります。2008 年には SDL に買収されたという経緯ももあって、今までは断片的にしか取り上げてきませんでした。
リンク: side A: # Deja vu
リンク: side A: # よそ様だけではない、もっと身近な買収話
買収後はメンテナンスアップデートのみ継続されるという話でしたが、先日 SDL の方に聞いたところでは、既存ユーザーからの要望があって、開発が再開されているとのことです。
ちなみに、www.idiominc.com/.../worldserver-desktop-workbench.asp
という URL は残っていますが、リンク先は SDL 内のページになっていて、その先も思うように情報が得られません。
翻訳者が実際に使用するクライアントは Idiom Desktop Workbench という名前で、インターフェースはこんな感じになっています。SDL Trados Studio 2009 のインターフェースを初めて見たとき、私が Idiom っぽいと思ったのもご理解いただけると思います。
この Idiom Desktop Workbench というアプリケーションの設計思想には、side A に書いた「ローカリゼーションと翻訳との乖離」ということが如実に現れているなぁと、最近久しぶりにこれを使う機会があって、改めて感じました。その実例をご紹介します。
たとえば、こんなセグメントがありました。
ファイル名がタグで表現されていますが、そのファイル名が何なのか、そして次の行に何が来るのか判らなければ、"contains + コロン" なんて訳しようがありません。
ところが、Idiom では処理の不要な部分はプロジェクトに含まれず(いちばん左のカラムを見ると 16 がとんでいます)、このインターフェースだけ見ていたのでは、文脈など判りようがありません。今回は幸い原典が支給されていたので、そちらを見てみます。
これを見て初めて、タグで表されているファイル名が Linux の設定ファイルであり、contains の目的語は SELINUX = enforcing というオプション指定の行であることが判ります。この時点でようやく、たとえば
「ファイル /etc/sysconfig/selinux に、次の行があることを確認します。」
のように訳せるようになるのですが、実は Idiom プロジェクトで「原典ファイルありませ~ん」と言われることだって珍しくはありません。
つまり、こういうローカリゼーションツールを使用する場合には、上のように文脈を考えた訳文など求められていなくて、前後がどうだろうと、
「<タグ> に次のものが含まれていることを確認します」
みたいに訳せばいいことになっているわけですね。こうして、とてもよく見かける「ローカリ系訳文」の典型ができあがります。
これはもはや「翻訳」ではなく、「文字列の置き換え」にすぎません。
ローカリゼーション業界は翻訳ゼロを志向している
というのは、要するにそういうことです。
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今さら何を言ってるの。翻訳メモリーを使うという前提なら、そういう「どこにでも当てはめられる訳文」が必要なのは当然でしょう。
そういうお言葉が容易に想像できます。実際、私もかつてそう指導されました。
だから、そんな訳文でいいんだったら、もうどんどん機械翻訳に移行しちゃいなさい、と今では考えています。そういう翻訳(というより文字列置換業務)でオッケーという需要と供給が成立する世界があるのなら、人間がそこで闘う必要も意味もありません。
なお、私がそれでもあえて上に書いたような文脈依存の訳文を選んだのは、今回のプロジェクトはドキュメントの性質からしてそういう訳文が必要と判断したからです。このドキュメントに Idiom を指定したお客さんの選択が疑問なのですが、ソリューションのミスマッチは、これまた日常茶飯事だったりします。
なんでそんなミスマッチがあるかというと、「翻訳内容に適したソリューションを選択する」のではなく、
ソリューション先にありき
というプロジェクトの進め方が横行しているからだと思います。ソースクライアントが欧米言語を中心に考えていると、特にその傾向が強いようです。つまり、日本国内のドキュメンテーション部門には最初からソリューション選択の余地などなくて、担当者も使いにくいと思いつつ発注している。
大手の翻訳会社さんであれば、そういうソースクライアントの現状をただ受け容れて現場に垂れ流すのではなく、本当に適したソリューションを提案する、あるいは一緒に検討する、そういう姿勢であってほしいと思います。
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コメント
章、節、段落、文、単語が、それよりも大きい単位の中でどのような位置づけになっているかとか、文脈や構成などに気を配るようにしたら、翻訳速度が著しく下がりました。前文と切れていると感じられる場合、切れている必然的な理由がわからないと、作業を進めたくないのです。どうしてもわからないときは仕方なく先に進みますが…。
その後、既訳の改訂で他の翻訳者さんが訳したものを見て、哀れなほど寸断されていると感じたとき、今まで自分がしてきたことを突きつけられたようで、やりきれなくなりました。
「翻訳ゼロを志向」する波に完全に飲まれて使い捨てられるような事態は避けられましたが、専業を続けていけるかどうかは微妙な感じになってきました。ま、自分のせいですので仕方ありませんが。2足に戻ることも覚悟しなければならないような状況です。すみません、愚痴になってしまって。でも、誰かに聴いてほしかった。
今後ともよろしくです。
投稿: snafkin | 2011/01/19 9:43:08
snakfin さん、こちらでよろしければ、いくらでもどうぞ^^
(「愚痴」というのは、聴く側が厭わなければ「愚痴」にならないとか)
TM 前提の、しかも差分メインの翻訳ばかりしていると、文脈を意識することもなく量ははかどりますが、そんなことばかりやっていると "まともな" 翻訳ができなくなる...そういう不安を私も抱えています。糊口をしのぐ手段としての翻訳と、そうではない部分とのバランスと言うことを、最近はいつも考えさせられます。
投稿: baldhatter | 2011/01/20 8:44:24