# 「班長」って英語に入ってるんだ
今日のデイリー翻訳をしていたら、
honcho
ってのが出てきて、スペイン語由来? と思いながら辞書をひいたら、これがなんと、日本語の
班長
とか。びっくりしました。これを書きながらググッたところ、それなりに有名らしいのですが、私はちっとも知りませんでした。
Webster's Collegiate の定義と語源:
boss, big shot; also : hotshot
Japanese hanchō squad leader, from han squad + chō head, chief
First Known Use: 1955
COD の定義と語源:
honcho informal
noun (plural honchos) a leader.
verb (honchoes, honchoing, honchoed) be in charge of
[ORIGIN]
1940s: from Japanese hancho 'group leader'.
おもしろいと思うのは、初出年がずいぶん違うということ(SOD では M20 = 20世紀半ばとしか書かれていないのでダメですが、OED ではどう書いてるんでしょうか)。
語源と初出年をもう少し調べてみました。
ランダムハウス大辞典:
[1953.<日本語「班長」;朝鮮戦争時,米国陸軍で使われた]
研究社英和大辞典:
≪1947≫ Jpn. 班長
Oxford Dictionary of Modern Slang(オンライン版):
1: A leader or manager, the person in charge, the boss. (1947 —) .
2: To be in charge of, oversee. (1964 —)
ランダムハウスに書かれているように、朝鮮戦争(1950-53)の頃からというのはありそうな話です。Webster's Collegiate の「1955 年」というのもたぶん同じことでしょう。であるとすれば、米軍基地で日本人が口にする単語を米兵が聞きかじったということでしょうか。ちなみに、こちらのサイトではもっと具体的な話が書かれています。
Honcho. 朝鮮戦争時、非常に技量の高いMiG-15のパイロットを国連軍が呼称した通称。
ところが、研究社大英和や Oxford 系にははっきり「1947 年」と書かれていて、そうなると朝鮮戦争より前の、おそらく GHQ 駐留時代ということになります。
現実的な話としては、GHQ 時代から、集団としての日本人がいつも「ハンチョー」を中心に機能的に動いているのを見て、戯言的にそれを真似するようになり、朝鮮戦争の頃にはかなり広まったといったあたりでしょうか。
ひょっとしたら、終戦より前の時点ですでに、捕虜になった日本人集団の中で「ハンチョー」という言葉が聞かれていたのではないか、とも想像してみるのですが、1945 年より前というデータはなかなか見つかりません(こんな記事はありましたが)。
■
日本人集団の統率者を表す言葉として伝わったのが「班長」だった --- というその事実が、なんだか日本人というものの性質を如実に表しているという気がしないでもありません。日本人が集団として実務能力を発揮できる最大の単位が、実は「班長」に率いられた「班」までであって、それ以上に大きい組織はもううまく機能しない。
そんなことを考えていて、ふと思い出した映画があります。
ロン・ハワード監督の初期作のひとつ。アメリカに進出する日本企業を描いた、私はなかなかの傑作だと思うのですが、日本では劇場公開されなかったんですね。
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コメント
"We're engineering honchas, and the thing just sits there mocking us" をめぐる興味ぶかい考察が
Cross-linguistic back-formation (言語横断的逆成??)
http://bit.ly/d8ksC6
に載っていますね。
OEDの記載内容で検索したら出てきました。
在豪時代、なんでSakinoでSakinaでないの、となるべくソレっぽく発音していたことなんていうのまで、思い出してしまいました。ムスメその1が、~oではないのに同じことをやっているのを現認して苦笑した10年前のこともついでに思い出し……。略同じ年頃の子は、みんな同じことをやるんでしょう。本人はもう忘れているかもしれません。
投稿: Sakino | 2011/05/28 0:09:13
こんにちは。
hancho が英語になっているとは知りませんでしたψ(。。)メモメモ...
「ガン・ホー」懐かしいタイトルです。もう10年近く前でしたが、とある勉強会で題材になったときに見ました。日本流の企業進出を当時のアメリカ人がどんな風に見たのか、コメディー仕立てではありましたがなかなか興味深かい映画でした。
投稿: 洒微 | 2011/05/28 9:06:10
> Cross-linguistic back-formation
記事読みました。こちらでもやはり、「初出は 1947年、米国での使用例は 1955 年」ということみたいですね。ふむふむ。
> なんでSakinoでSakinaでないの
私の場合 Akiro にしといたほうがいいのかなw
投稿: baldhatter | 2011/05/28 20:15:08
> コメディー仕立てではありましたがなかなか興味深かい
はい。私はこの映画でロン・ハワードの将来が楽しみになりました(その後、順調にビッグにはなっていますが、それが必ずしもら期待どおりだったとは限りませんが)。勉強会の題材ってのも、なるほどと思いました。
話がどんどんそれますが、ロン・ハワードって、監督業に専念する前の俳優としては『アメリカン・グラフィティ』が有名ですが、私は『ラスト・シューティスト』というジョン・ウェインの遺作に出演したときの印象がいちばん強く残っています。
というか、ジョン・ウェインが好きとか言ったらいろんなところからいろんな声が飛んできそうですけど、実は私好きなんですよ。で、その遺作となった『ラスト・シューティスト』は、西部劇とひとくくりで分類してしまうのがもったいない佳作だと思っています。
投稿: baldhatter | 2011/05/28 20:20:21
我が国には、初等教育はあっても、英米流の高等教育はない。
だから、日本人は、「下士官兵は優秀、下級将校は普通、上級幹部は愚劣」の状態になっている。
目先・手先の問題は器用にこなすが、個人の世界観に基づいた国家百年の計は立てられない。
日本人には意思がない。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。
指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、日本人の世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。
未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には時制がないので、未来時制もない。
だから、その計画も場当たり的というか、行き当たりばったりになる。主体性がない。
日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんのような煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中で、あくせくと現実生活にのみ専心している。
精神を集中すると、その刹那も永遠のように見えてくる。
前後の見定めのない自分の話が永遠の真理を話しているような気持ちになるところが不思議なところである。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
投稿: noga | 2011/05/29 4:09:49
noga さん、たいへん興味深い考察をありがとうございます。こういう日本人の特性って、時と場合によっては良い方向に発揮されるのだと思いますが、3/11 以降に限っては --- あるいは、それとよく似た昭和初期の状況については ---、 暗澹たる気分になるのはたしかです。
投稿: baldhatter | 2011/05/31 12:26:04