# 自動ということ
映画『ブラッド・ダイヤモンド』を観た人、または観ようとしている人には、この本の第1章が参考になります。
イメージを拡大すると見えるでしょうか、奇しくも表紙に写っている少年兵の着ているのが、ディカプリオのTシャツなんですね(『タイタニック』のようですが)。
映画の方は、いい意味でも悪い意味でもズウィック監督らしい手堅い作りでした。テーマは重いはずなのですが、"箱庭感覚" が『ラストサムライ』とよく似ています。ディカプリオも、今までとは一味違うかなり骨太の演技で、特にアフリカ訛り英語が堂に入っているのには感心しました。
ところで、この映画でも当然ながら AK 自動小銃がたくさん登場します。AK の "A" はロシア語で「アフタマート」つまり「オートマチック」です。
「オートマチック」=「自動」は人間の社会に数々の利便をもたらしてきましたが、その一方ではこの「自動」が現代の人間に与えている脅威も無視できないものになっています。
そもそも「自動」の「自」には 2 つの意味があります。
1.「おのずから」=自然に、ひとりでに
2.「みずから」=自分が、自分自身で
人は、放っておいてもひとりでに、"おのずから" 動いてくれる」ことを期待して色々な装置を生み出してきました。が、そういった装置は、ちょっと油断すると人の手を離れて "みずから" 動き出してしまう性質を持っているのかもしれません。
もちろん、自動小銃だって自動車だって操作者がいなきゃ動かないわけですが、それらの"自動" 装置が、実にしばしば操作者の意識を超えるかのような振る舞いを示し、その結果として多くの人命が失われている現状を見ていると、「オート」の部分に、実は人知の及ばない何か危険な因子が存在しているのではないか、などとと考えてしまうわけでした。
02:50 午前 映画・テレビ日記・コラム・つぶやき | URL
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