« # 「返上」という手段 | トップページ | # オープン - 微妙な違和感 »

2006.06.05

# 歴史と物語

リンク: コデラ ノブログ: ダ・ヴィンチ・コードの彼方 [ITmedia D Blog]

> 世界が共有できる歴史を構築するというのは夢物語に近いものがあるが、取り組むこと自体が無駄だとは思えない。

ムダではないかもしれないが、それには「歴史」ではない別物の human science が必要なのかな、などと、翻訳者のはしくれとしては history という単語の語源を考えつつぼんやり思うのだった。

history の語源は --- his story だというガセはともかく :P ---、ラテン語、ギリシャ語と遡って、「物語」と同根だというのは有名な話で、物語である以上、語り手の都合や聞き手の都合によって流動的にどうにでもなってしまうもの。そういう従来の「歴史」なら、限定された一地域を越えて共有することなど、もちろん不可能だ。

だが、"learned, wise man; wit と同語源" であることも考えれば、人類として共有しうる "何ものか" が見出される可能性もあるのかもしれない。

--------------------
ところで、同じ敗戦国である旧ドイツと日本との差は何だったのか。
きっとどこかでは言われている話だろうと思うが、もちろん不勉強なので、勝手に書いてみる。

旧ドイツには、ナチスという実に判りやすい「悪」の部分があって、敗戦と同時にそれを体外に思い切り排出し、その後も徹底して排斥しつづけることが、戦後国際社会におけるかの国の至上命題だった。

ひるがえって本邦では、A 級戦犯---すでにその名前からして、「悪」であることが程度の差でしかない---という存在が、こちらは原則として、日本というムラ社会がその内部に抱え込むことになってしまった(もちろん、それに伴うモロモロと一緒に)。

このことがけっこう大きいんではないか。
それ以上のことは、もちろん今ここではとても書ききれないので、ひとまずここまで。

12:59 午後 社会・ニュース |

はてなブックマークに追加

« # 「返上」という手段 | トップページ | # オープン - 微妙な違和感 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: # 歴史と物語:

コメント

この記事へのコメントは終了しました。