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2006.05.27

# 山男の名誉

リンク: Sankei Web 国際 男性救助せず登山続ける エベレスト登頂めぐり議論(05/25 19:24)

まず、共同通信が配信しているらしい全文を引用する。

男性救助せず登山続ける エベレスト登頂めぐり議論
 今月15日に、両足を切断した人で初めて世界最高峰のエベレスト(8850メートル)登頂に成功したニュージーランド人のマーク・イングリスさん(47)ら約40人が、頂上付近で倒れている男性に気付きながら救助せず、登山を続けていたことが分かった。男性はその後、酸素欠乏で死亡した。1953年に世界で初めてエベレストを征服したニュージーランドの登山家エドマンド・ヒラリー卿(86)は、男性を見捨てたと非難しているが、イングリスさんは「自分ができることは何もなかった」と反論。登山家の倫理をめぐり議論を呼んでいる。
 ニュージーランドでの報道によると、死亡した男性は英国人のデービッド・シャープさん(34)。単独で登頂した後、約300メートル降りたところで酸素不足のため倒れたとみられる。
 ヒラリー卿は「自分の遠征隊なら、人が岩の下で死ぬのを放置するようなことは決してなかった」と強調。イングリスさんは、立ち止まって様子を確認したのは自分たちのパーティーだけだったとし「8500メートルでは、自分が生きていくことも非常に難しい」と話している。(共同)

産経、東京をはじめ、岩手日報、西日本新聞など---ネットで確認できる範囲で---日本全国ほとんどの紙面が同じソースを使い、ほぼそのまま掲載している。

この紙面では、イングリス氏の不名誉が確定的になることが、少なくとも本邦では間違いあるまい。

小生は別に、amputee --- 差別語をいちいち回避するのが面倒くさいので英語を使っているだけなので、判らなければ辞書を引くように --- な方がエベレストを初登頂したというその事実に特に感銘を受けてはいない(以前この計画を聞き及んだとき、かすかに疑問符が頭をよぎったくらいだが、それはまた別の話)。

だが、これより1日以上も前にネットに掲載されている、たとえばオーストラリアのマスコミなどを見れば、少なくともそのときの状況やイングリス氏らの心情が、共同配信の記事ほど単純なものではなかったことは判るはずであり、氏がこのような記事で一方的な不名誉を被るいわれはないだろう。

Inglis said when they found Sharp he was barely alive.
He was virtually frozen solid, could not speak and the only signs of life they could detect was movement in his eyes.

"Other members of our team spent time with David.
"Various experienced sherpas of ours spent time with David, all to no avail."

The mountain was littered with bodies.
"You have to step over so many. You have to physically step over so many."

かりに助かる見込みがなくともそこで登頂の計画を中断し、不幸なイギリス青年---ちなみに、亡くなったシャープ氏は単独行で、装備も十分ではなかったという---の遺体だけでも連れて下山すべきだったのかどうか、それを判断できる識見も経験も小生にはない。だが、もしこのとき彼に意識があったとしたら「自分は放っておいて頂上を目指せ」くらいのことは言ったかもしれない、とも想像してみる。さらには、そう言われたら逆にイングリス氏一行は別の行動をとったかもしれない、とも夢想してみる。

それらはいずれも、山男たちの行動規範、山男たちの感情であり、それに対する批判も議論も彼らあいだでのみ行われるべき性質のものだ。

小生が今回の報道で何がひっかかっているかというと、それは第一に「配信されたニュース文を安易にそのまま流す本邦マスコミのあり方」であり、第二にこれが「ひとたび英雄視された人物を一転して貶めるというおなじみのパターンであること」だ。

日本人は --- 現代の日本人だけなのか、それとも全人類共通の性癖なのか、それは知らないが --- 美談を非常に好む。そして、正反対のベクトルとして、美談の否定も好む。そして多くの場合、美談を打ち消そうとする根拠は、おそろしいほどに主観的だ。小生はこれを「一杯のかけそばシンドローム」と勝手に命名しているのだが、このパターンを見かけると小生はとても寒い。

ことは美談に限らない。ある価値判断があるとき、それを否定しようとすると、どうやら人は

その正反対方向に大きく揺り返さずにはいられない

性質があるらしい。けっしてその途中、「ほどほどのところ」では止まらない。かつての日本人には、「ほどほどのところで立ち止まれる」という美点があったように思うのだが、それはいつ消滅してしまったのだろう。

さて、小生がこの記事を知ったのは、5月27日朝日の朝刊だが、この記事は共同のまんま引き写しではなく、亡くなったイギリス青年の母親談として次の一言も掲載されている。

「登山者の義務は自分自身を守ることで、人命救助ではない」

また、朝日のこの記事は、JR山手線新大久保駅でホームに転落した女性を韓国人留学生が救助した話と併せた形で掲載されている。共同通信より詳しい内容を載せたことは評価するが、この併せ方に、むしろ共同まんまよりも悪質な、読者感情の操作が感じられるのは、はたして小生の気のせいなのかどうか。

新聞の定期購読はもうやめようかと何度も思うのだが、マスコミの劣悪化をモニターするためだけに、今しばらく読み続けるしかないらしい。

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最後に。

ヒラリー卿の言いようには一理も二理もある。
"The mountain was littered with bodies." とコメントしたときのイングリス氏の苦衷も想像に難くない。
"Your responsibility is to save yourself - not to try and save anybody else." と述べ、決して恨み言をもらしていないらしい遺族の姿も気高い。
「恥ずかしい。大丈夫だったならそれでいい」と語り、救われた女性側からの謝意を丁重に固辞しているという韓国人留学生の言も清々しい。

これらはみんな common sense なんだと思う。
それが uncommon になった世界というものは、できれば考えたくないのだな。

11:05 午後 社会・ニュース |

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コメント

ん?

http://ameblo.jp/8oa/entry-10012866820.html

なんか、これを見ると全く清々しい気がしないんですけど…。

メディア・リテラシーは重要ですね。

投稿: 広がれ韓流の輪 | 2006/05/28 2:02:05

おっと...。コメントありがとうございます。

> メディア・リテラシーは重要ですね。

本当に ^^。
えらそうなこと書いておきながら、こちらの記事はここまでフォローしてませんでした。お恥ずかしい。info 感謝です。

投稿: baldhatter | 2006/05/28 17:11:24

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