# 週明け早々オタク話で申し訳ない
リンク: ITmedia D LifeStyle:キモオタの発祥に見るコンテンツ社会の臨界点 (1/3)
ネットで見かけるオタク/ヲタク論の中には、けっこう的を外してるのも多いわけですが、小寺氏の今回のはなかなか面白かったですね。
近年、「オタク」という語感の持つ脱社会的な部分が抜け落ちてしまい、次第に清潔なものになりつつある。
後半に登場する「公と私」というキーワードが、ネット界はもちろんリアル世界まで、今の日本の至るところで目撃される諸々の事象を説明してくれるはず。
マスメディアのコンテンツが魅力的になり、影響力が増大するほど、虚像と実像、公と私を使い分けることが、難しくなる。
これを書きながらふと思いついたのは、従来の日本社会で「公」と「私」とのインタフェースだった「世間」というものが消滅しつつあるのだろう、ということ。
リアル日本社会においては、この「世間」というインタフェースが果たす役割は思い切り重要だった。「世間」は、上位構造である「公」を管理することはもちろんできなかったが、なにより、下位にある「私」を制御するという機能を十分に有していた。そしてその「世間」インタフェースを形成していたのは、たぶん "良きおじさんやおばさんたち" だ。だが、民主主義教育以降、そのような「世間」を担う層は消失して、結果的に「世間」の存在はどんどん希薄になってゆく。
西欧流のパーソンではなく、まさに日本的な「私」が、制御インタフェースを失った世界。あまり想像したくないですね。
12:59 午後 アニメ・コミック・サブカル | URL
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