# 先生と呼ばれるほどの
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河野弘毅氏の Blog、10/4 のエントリは、ローカライズ業界から逸脱して「先生」の話。
小生、前職は学習塾の「先生」で今はローカライズ業界に身を置いているので、ちょっと面白かったのでした(河野氏のところに直接コメントを書けないのが残念です)。
大学教授だと<先生性>が高いが公立小学校だと(昔は知らないが)最近の親は一応呼称として「先生」をつけるけど裏ではあんまり尊敬しているようには見えない。これが塾の先生だと先生の側もきびしい市場競争にさらされているので父母からは「先生」と呼ばれる立場にありながら親に対しては僕の知る限り完全にサービス業モードで、子どもを塾に送迎する親と受付で目線があうとニコニコと愛想よく対応して頭を下げたりするので、かなり<先生性 >もあやふやになってきて
確かに、塾教師はサービス業でした。そして小生はそのことにこそ誇りを持っていました。実際の授業、進路指導、受験情報の提供などなど、いかに良質な「サービス」を提供するか。
でも、「先生性」という点はちょっと ↑ 違ったように記憶しています。
おそらく今の父母でも学校の先生に対して「形式的な敬意」は払っているでしょう(少なくとも我が家はそう)。たとえどんなに頼りなさげでも、参観日に見た授業内容がいかにお粗末でも、です。
一方、塾教師に対する父母たちの態度はどうかというと、サービス品質を吟味した上で評価できる教師に向ける「実質的な敬意と信頼度」は、学校の先生に対するそれよりはるかに高いはずです。実力があり、それに伴う人気のある塾教師は、ある意味で相当「先生性」を備えているのでした。
12:45 午後 日記・コラム・つぶやき | URL
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