ではどうやって使おうか
(オリジナル投稿 2008/7/2)☆
Buckeye さんのそもそもの TM に関する言及ですが、
さらに余談ながら、だから私は翻訳メモリを使いたくないし、力をつけたいなら使わないほうがいいとアドバイスをしている。
これは「翻訳全般」の話として読んだときに首肯できるのであって、ローカライズという世界はちょっと例外です。だから翻訳者を志望するなら、(需要は常に多いけれど)いきなりローカライズの世界に飛び込んだりはしない方がいい。翻訳とローカライズはかなりの部分別物、この辺を翻訳雑誌さんなどももう少し強調してくれた方がいいと思います。
TM を使うとき、
既訳(過去に訳した原文―訳文のペア)の再利用を必須の義務と考えるのではなく、訳文考案の補助手段と割り切る
という方向性が、"本来の" 翻訳にもメモリというツールをある程度有効活用できるカギになるだろうと最近ときどき考えています。というか、そういう使い方を個人的にしています。
自分が過去にこういう訳をした。それと似ている原文が目の前にある。この言い回しとこの訳語は使い回せる。この訳語は言い換えなければならない。センテンスの構造は今回はこうしなければならない。
そういう風に考えて訳文を組み立ててゆく使い方もありではないかと。もちろんこれは、単純ローカライズの翻訳案件では使えません。
と、この辺まで書きかけて仕事をしていたら、Buckeye さんのところでさらにコメントが。
なんといっても大きいのは「なぜ翻訳メモリを使うのか」です。これが「訳文の再利用ではない」なら、つまり、翻訳メモリ最大の機能を捨てるのであれば、問題はないと思います。
つまりそういうことです。「最大の機能を捨てる」とまで言わなくとも、いいとこ取りだけすればいい。
ツールはツール。♪敵~に渡すな大事なリモコン。
(すいません、ツールの運用論ということになると、どうしてもこのフレーズが浮かんでしまう世代です)。
この記事へのコメントは終了しました。


コメント