# 『そして、僕はOEDを読んだ』
本邦では、今野真二さんが『日本国語大辞典』を通読してこんな本を出されましたが、
その前に英語圏で話題になっていたのが、本書です。
著者のアモン・シェイは、Wikipedia英語版によれば著述家ということで、著作もほかに何冊かある(いずれも本邦未訳)のですが、詳しいことはよくわかりません。辞書を含めてたくさんの本に囲まれて暮らしていることだけは確かなようです。なにしろ、今野さんが本業のかたわら、約2年をかけて日国を読み切ったのに対して、OEDを1年で読んじゃったというのですから、そういう時間の使い方ができる立場ではあるようです。OEDだけでなく、Websterも第3版、第2版とも通読している。間違いなく変人。
翻訳したのは田村幸誠氏(本書刊行当時は滋賀大学准教授、現在は大阪大学准教授)。専業の翻訳者ではないようですが、本書の訳はなかなか素晴らしいと思います。
『『日本国語大辞典』を読む』のほうは、今野さんらしく学術的なアプローチですが、『そして、僕はOEDを読んだ』は、とにかく楽しく読めます。
序章の次からは、アルファベットA~Zの章立てになっていて、どの章も最初に自由な長さのエッセイがあり、続いて各アルファベットで筆者が取り上げた単語と語釈、コメントを載せるという体裁。
ただし、語義はOEDの記述そのものではなく、筆者によるもの。たとえば、Aの項の3つ目に出てくるのは Acnestis という名詞(見出しはすべて大文字始まりになっている)で、こう書かれています。
Acnestis(名詞)動物の肩から腰にかけての部分で、かこうと思っても手が届かないところ
OEDを読み始めてすぐにこの単語に出会えたことを非常に光栄に思う。名前なんて絶対にないと思っていたものを表す単語が実在していたことを知るのは、言い知れぬ喜びであり、俄然、辞書を読むという発想自体は、全く道理に外れたものではないと思わせてくれた。
著者がOEDを読み進めている最大の動機に触れている部分でもあります。原書では、語釈にあたる箇所はこうでした。
On an animal, the point of the back that lies between the shoulders and the lower back, which cannot be reached to be scratched.
実際のOEDではどうなっているかというとー
That part of the back between the shoulder-blade and the loins which an animal cannot reach to scratch. と、辞書の定義文らしい文体になっています。
このacnestisという単語でわかるとおり、本書には「そんな意味を表す言葉があるのか~!」と驚き呆れるような単語が次々と登場します。柳瀬尚紀が『日本語は天才である』のなかで、
日本語の豊かさを信頼していて、探せば必ずぴったりの語が見つかるという信念があるからです。
と書いているのにも通じます。
この著者も、そういう単語に出会うのが無上の喜びという人種のひとりというわけです。
そんな人のまわりには同類が集まっていて、友人として登場する「マデリン」は2万冊の辞書を持っている、しかもどこに何があるのかちゃんと把握しているんだとか。境田さんみたいな人が、英語圏にもやはりいるんですね。
ほかにも、こんな単語が載っているのは確かに楽しい、という例をいくつかご紹介してみます。
Mataeotechny(名詞)無益な、利便性のない科学、技能
原文だと"An unprofitable or useless science or skill" ですが、OEDの記述は"An unprofitable science"と、もっとあっさりしています。
Killcrop(名詞)空腹が収まらないがき、俗に、実の子と変えられた妖精と考えられたがき
これはかなりぶっ飛んでいます。OEDの語釈はこうです。
An insatiate brat, popularly supposed to be a fairy changeling substituted for the genuine child.
おー、チェンジリング(『ダンジョン飯』の7巻にも登場します)。用例として、ワシントン・アービングなども載っていました。
でも、実はこの単語、なんとリーダーズプラスにも載ってました。
―n. 《神隠しの》 取替え子 (changeling); 飽くことを知らない[貪欲な]子.
きっと、リーダーズの編集陣も、OEDを見ながら「この単語はおもしろい」と思って採用したんでしょうね。プラスはやっぱりおもしろい。ちなみに、これがわかったのは、EPWING化したOEDもリーダーズプラスも登録してあるEBWin4を使っているおかげです。
Onomatomania(名詞)適切な言葉が見つからなくていらいらしている状態
原文は"Vexation at having difficulty in finding the right word."ですが……ん? あれ? OEDでは、見出しになっているわけではないですね。
onomato- という造語成分の説明中にありました。語釈は、著者の解説よりだいぶ難しい。
という風に、本書を読むのもおもしろいし、読んでからまたそれぞれの単語をOEDで、あるいはEBWin4上で引いてみるとさらに楽しい。
辞書という世界の楽しさを知ることのできる、とてもいい一冊でした。
なお、OED第2版は、私もCD-ROMで持っていて、それを大久保さんのおかげでEPWING化できたのですが、このCD-ROM版が今は入手しにくくなっているようです。
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