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2019.02.08

# 山田俊雄・柳瀬尚紀『ことば談義 寐ても寤ても』

タイトルの後半は、「ねても さめても」と読む。

寐る

こちらは「ねる」の変換で出てくるが、

寤る

は出てこないので、ATOKの文字パレットから漢字を探して入力することになる。

以前こちらで取り上げた、柳瀬尚紀の『辞書を読む愉楽』で紹介されていたので、そこからの自然な流れで読んでみた。

山田俊雄は、『新潮国語辞典』、『新潮現代国語辞典』など多くの辞書を編んだ国語学者。父親が、同じく国語学者の大家だった山田孝雄(よしお)だ。

そんな人を相手にした対談なので、柳瀬尚紀のほうも、自分ひとりの著作のときとはかなり違った顔を見せる。帯に、

碩学 v.s. 奇才
日本語の海に遊ぶ愉楽

とあるように、かなり高度な対話が繰り広げられる一冊。自分の無知・無教養・不学浅学を思い知る本とも言う。


山田俊雄による「まえがき」からしてこうだ。

 ことば談義は、往々にして文字の談義に及ぶ。いわゆる常用漢字には、それなりの使命もあり、またそれなりの効用も認めなければならないけれども、その外側に拡がっていた、日本語の過去の広大な眺めを省みることは、人の心にとって、全くの無用であるわけがない。
 先端的な世界に、古典的で確定した世界が隣接して共存することは、尊重すべき、人間的な無用の用とでもいべきであろう。
 この対談の裡には、そんな事が考えられているものと、承知あって読んで頂ければ幸である。


帯の謳い文句にたがわず、全編、日本語の海を縦横に往来しながら、ことば談義・文字談義に興じる二人は、まさに碩学と奇才。

かたや、こちらはそれにはるか及ばぬ無学非才の身。ページをめくるたびに、知らない話、もっと知りたい情報、手も足も出ない考察などなどが次々と飛び出してくる。

これが面白かったので、次は山田俊雄の単独著作、こちらを読みはじめた。

単独著作だけあって、こちらのほうが山田成分が濃厚。太刀打ちできない話がさらに増えてくる。


それでも、こういう本を読んでいると「ことば」に触れている愉しさにじっくり浸ることができる。

最近は「変な日本語」ばかりに接することが多いので、くすんでしまった自分の言語脳が少しずつ浄化される気分。


最後に、『ことば談義 寐ても寤ても』から一節を引いておく。

本はそういうものでもないんだ。やっぱり、自分の身の回りに置いてあって、本の中に埋もれてなくては、好きなときに好きなものが自分の栄養にならないですね。

ますます危険だ。

03:05 午後 |

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