# 『花子とアン』~翻訳家の原点が描かれた
以前に書いたとおり、テレビドラマというものを久しぶりに見ています。
NHK連続テレビ小説『花子とアン』
第3週になって、ようやく面白くなってきました。その第3週月曜日、吉高由里子に変わって早々の授業風景。英語教師の訳し方に異を唱えた主人公が、けっして強い調子ではなく、こう言います。
「私は、すこし違う訳をしました」
これって、程度や形の違いはあれ、人が翻訳者になろうと思う原点ではないかと思います。
もちろん、素晴らしい翻訳にめぐりあって翻訳の道をめざす人も多いには違いないのですが、世に出ている翻訳を読んでなんらかの違和感を覚え、「自分ならこう訳すな」と思ったことが、翻訳者であれば一度ならずあったのではないでしょうか。
そして、その違和感について、自分なりの答えを出そうとしてきた人だけが、やがて翻訳者になってゆく。
そういう、翻訳家・村岡花子の出発点が、この回では描かれていました。
いやねー、正直言って、第1週は見るの辛かったですよ。
ドラマ、特にNHKドラマで描かれる昔の日本って、なんでみんなこうなんでしょうねぇ。もう笑えるくらい「絵に描いたような貧乏」でさ、でもそんな境遇のなかで主人公はとてもいい子で……。いや、実際に貧乏だったんだろうし、その貧乏を私は知らないし、はなは本当にいい子だったのかもしれないしね。でもさ、描き方ってもんがあるでしょ。貧乏がリアルとかリアルじゃないとかそういう次元ではなく、とにかくどのドラマ見てもみーんな同じ。
……って言うほどドラマは見てないんでしょ。はい、すいません、私の認識不足かもしれません。とにかく、見てて恥ずかしいんですって。
子役は、いい仕事してると思いましたよ。なかなかのもの。でもね……以下略。
ちなみに、原案『アンのゆりかご』に、あれほどの貧乏の描写はありません。
そもそも、花子5歳のとき、すでに一家は品川に転居しているはずです(新潮文庫『アンのゆりかご』、p.34)。家族が今でも甲府に住んでいる、というのは、だからおそらくこのドラマ独自の脚色。それはいいんですよ別に。「原案」だしね。でもさ、だからって、どうして「これがNHKの描く明治の日本でござい~」みたいなテンプレート的描写にしなきゃいけないんだろ、毎度毎度さ。
で、原案つまり史実どおり、都内の尋常小学校に通っていたのであれば、給費生として東洋英和に入るというのもできそうだけど、甲府からいきなり汽車に乗ってというのは、どうなんでしょ。
第2週、東洋英和(ドラマでは別の名前)に入ってからはだいぶ救われたし、こっちもテレビドラマのコードにだいぶ慣れてきました。コンドン(近藤春菜)とか見てて面白いし、校長先生と英語教師もなかなかいい雰囲気。
でも、あの「お父」は、いつ出てきてもやっぱイタいよね。いや、当時のイタい人として設定されてるのはわかるんだけど、演技がそれに輪をかけてイタいでしょ。まあ、ガメラのときも、この人はちょっとイタかった気がするけど。
そして、第3週、冒頭に書いたようなシーンが出てくるようになって、ようやく楽しめるようになったわけです。
日曜学校に出てくる子どもたち、けっこう「今どきではなさそうな顔」を選んでるなあとか、子供のころ通った日曜学校って、あんな雰囲気だったなあとか(実際にはもっと広かったはずですが、木造のあのたたずまいがね)。
はなに接近する帝大生、若い頃の三ツ木清隆に似てるね、とか。
まあ、これからも恥ずかしい演出はたびたび出てくるんだろうけど、それでも、この主人公ならではの楽しみも、きっと増えてくるのでしょう。
05:37 午後 映画・テレビ 翻訳・英語・ことば | URL
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コメント
どうでしょうか。私は、ほぼ逆のことを考えました。『アンのゆりかご』に貧乏の描写がない方が不自然というか、現代のオーディエンスのことを考えてのことであって、TV版の方が自然だと思うのです。実は、もとをたどれば結構裕福なおうちの出であったということなのかもしれませんが。
そもそも、あちこちに『赤毛のアン』のエピソードを組み込むという作りなのですよね。そして、『アン』は、決してほわほわとした物語ではないわけです。原作の冒頭部分、つまり著作全体のベースとなっているのは、孤児としての体験であり、要するに児童労働の現場です。もらわれた家が違っていたら……というリアリティが物語の基底にあってこその物語であるわけです。そうした物語からエピソードを引っこ抜くわけですから、絵に描いたようなビンボーに目が向くのは至当。
ただまぁ、描かれるべきだったのは、佐多稲子の『キャラメル工場から』のような世界の方だったというのであれば、それはそれ思います。都市部のビンボーって、テレビのもっとも苦手とするところかもしれませんね。
投稿: | 2014/04/25 23:20:52
はい、もちろん別に原作どおりにしろと言ってるわけではないのです。単に、NHK的なというかテレビドラマ的な、というか貧乏の描写が私はどうにも苦手だなぁという、それだけの話です。
今週の何回目だったか、製紙工場に働きに行っている妹が出てきました。その後ろに女工たちの私物置き場がさりげなく描かれていたり、女工たちが2人1組で布団に入ってるところとかが写りました。
花子に届いた手紙から想像した間接的な場面なので、音声は妹の声のみですが、ああいう描き方で当時の時代背景を写すのはアリだと思うし、いいなと思ったんですよ。
投稿: baldhatter | 2014/04/26 1:57:18
たしかに、丁寧に監修された藁仕事がなかったら、さらに数段しんどいシーンになっていたのかもしれませんね。中盤、花子が甲府に戻る場面も用意されているようですし、『アン』のエピソードをいろいろ盛り込む場として農村という場面が必要だったのかもしれません。……とりあえず、そこに期待をつなぐこととして^^;。
製糸工場の寄宿舎のシーン、さりげなく二人でふとん一組が描かれていたのに、私もうなりました。
花子が辞書をひくシーンが好きです。辞書に載ってる訳語を見ているのではなく、その間やその向こうを見ている様子がよく伝わってくる場面にであうと、うれしくなります。
投稿: | 2014/04/26 7:53:23
> その間やその向こうを見ている様子がよく伝わってくる場面
そういう細かい演出はけっこういいんですよねー。
ところで、2回ともお名前がないのが残念です^^
投稿: baldhatter | 2014/04/26 8:09:28
すみません。
投稿: Sakino | 2014/04/26 10:17:10
ありがとうございます。ほかにいないと思ってました^^
投稿: baldhatter | 2014/04/27 12:57:22