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2013.07.04

# 新・午前十時の映画祭 ~ 『カッコーの巣の上で』

★★★☆☆

これも、大学生のとき以来ずっと観ていなかった作品の1本。

前回の『アラビアのロレンス』とは違って、観る機会がなかったわけではなく、そうそう何度も観たいと思わなかったし、ビデオ/DVDも持っていない。今回、再鑑賞してみて、その理由が判った。


いい映画だし、アメリカ映画史上に残る1本だとも思うけど、自分にとってそれ以上でもそれ以下でもない、からだ。

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「優れた作品かどうか」という価値判断と、観る人が「共感あるいは感動するかどうか」という話が別であるのは言うまでもない。文学作品でも映画でも、その両方が一致していることはもちろんあるけど、一致しないことのほうが実は多いだろうと思う。

そもそも、共感とか感動なんて、時代や文化が違ったらまったく通用しないはずのものだし、極端に言えばぜんぶ個人レベルの体験で、同じ個人だって体験する年齢によって変化することは誰でも知っている。


瀬川丑松の人生に、今の日本人がどれだけ共感できるか疑問だし、まして日本人以外がどんな風に感動するものなのやら。それでも『破戒』の文学作品としての価値は今でもそう揺らいでいないし(たぶん)、あれを優れた作品と感じる外国人だって少なくないだろう。

『史上最大の作戦』は、擬似ドキュメンタりーとして面白いのであって、あれを観て感動したり共感したりする人はあんまりいないんじゃないかと思う。

往年のATG映画を観て、感動はともかく、共感するという現代の若者がいたら、むしろ変人の部類だよね。


そういう時代や文化を超えても(一定以上の人に)共感や感動を与え続けるものが「名作」と呼ばれて受け継がれていく。


『カッコーの巣の上で』は、そういう意味で、優れた作品ではあるけれど、70年代のアメリカ人が観たときと70年代の日本人が観たとき、今のアメリカ人が観たときと今の日本人が観たときと、ではそれぞれ受け取られ方がよほど違うんじゃないかと思う。


そもそも、原作だってこの映画だって万人受けの共感とか感動を最初から狙っていたはずもなく、それ以前の映画にありがちだった感動とか価値観の押し付けを否定するところが、ニューシネマ時代の、いわば真骨頂だったという、そういう映画史的文脈を踏まえずに、今この映画を観るのはけっこう難しいんじゃないだろうか。主人公マクマーフィーやチーフの言動は、公開当時のアメリカ人には熱烈に歓迎されたし、「あの時代」の日本の若者にも十分共感できた。そういう時代の空気を知っている世代なら今観てもそれを思い出すだろうけど、今どきの若い人が初めてこの映画を観たらいったいどんな感想を持つのか、ちょっと聞いてみたい気がする。


「感動とか価値観の押し付けを否定するところ」と書いたけど、ニューシネマとくくられる作品一群の中でも、その辺のスタンスは監督ごと、作品ごと、時期ごとに少しずつ違っていたのは言うまでもなく、だから好みも人それぞれで分かれてくる。そういう多様性も、ニューシネマ時代のいいところだったんだよね。


そんなわけで、この時代のアメリカ映画って、全面的に肯定できるわけじゃないとしても、最近のアメリカ映画が失ってしまったいいところがたくさんあったんだろうな、と改めて思う。30年くらい経ったから、ハリウッドにもそろそろ、「ニュー・ニューシネマ時代」とか、「ニューシネマ・ルネッサンス」みたいな流れが来てもいい頃かも。


この映画をもう1回観ることはそうそうない気もするけど、観るとしたら、ストーリーをまったく無視して、クリストファー・ロイドとかダニー・デヴィートの演技にしっかり注目したいかな。

ルイーズ・フレッチャーのスゴさはもう十分だから、さ ^^;

11:53 午後 映画・テレビ |

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