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2011.11.10

# 『オリンピックの身代金』の時代

単行本が出たとき図書館で借りて読みましたが、このほど文庫になったので再読しました。

奥田英朗の「最高」傑作かどうかは異論もあるところでしょうが、傑作であることには間違いありません。特に、昭和 30 年代の東京を知っていると、本筋とは別に当時の風俗習慣の描写だけでも楽しめます。

そういう作品評価とは別に、今回再読していたら、高度成長期の日本人の、今見ると痛々しいくらいに前向きな姿に、あちこちで涙が出そうになりました。

61 年生まれの私の記憶のなかで鮮明なのは、こっちですが。

東京オリンピックの時代といえば、「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズも次回作は 1964 年が舞台になるんでしたね。

あのシリーズ、CG の技術にはまあ感心しますけど、最初っからどうにも違和感のほうが強くて、あの時代が見事に再現されているという風に素直には感じられませんでした。実は今回『オリンピックの身代金』を再読し始めてから、その違和感のことが頭にありました。

活字で読んでいると、自分が体験したあの時代は --- と言っても私が実際に知っているのは 64 年より少し後の記憶のはずですが ---、かなりしっかりした感触として生き生きとよみがえってくるのですね。トロリーバスの架線にときどき光るスパークとか、都電で行った銀座三越のライオン像とか......。

でも、最新の技術で当時を再現したはずの映像世界には、そういう「自分の体験が再現される」余地がほとんどありません。どちらかというと、押しつけがましいと感じるだけでした。

きっと、自分の実体験を再現もしくは追体験するための素材というのは自分の中にしかなくて、小説の場合には活字が触媒となってその素材が脳内で再構築されるのでしょうね。でも、この手の映像だとそういう再構築を待つことなく、先に膨大な量の情報が押しつけられてくる。だから、自分の知っている世界を映像で表現されても、それはやはり何枚かのレンズを通した幻灯みたいにしか見えないのでしょう。

映像についてそんなことを考えていたら、こんな記事が目につきました。

リンク: 「4K2K」でテレビは新時代に、でも誰が見るのか? 最先端技術がメーカーの独りよがりに終わる懸念

アホだなぁと思う要素はいろいろありますが、そもそもどうしてテレビ屋さんも技術屋さんも、

「みんな 3D 見たいに決まってる」

と当たり前のように思ってるんでしょうか。

04:01 午前 映画・テレビ書籍・雑誌 |

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コメント

オリンピックの身代金は買ったままにしてまだ読んでません。
ラジオでも傑作だと絶賛してました。
4K2Kをまず大衆向けと考える企業は思考が硬直化してます。
軍事、医療、科学研究の分野なら需要はあると思います。

投稿: 竹花です。 | 2011/11/13 3:03:12

> 軍事、医療、科学研究の分野なら需要はある

医療はまだ、いい意味でビジネスチャンスがあると思います。

投稿: baldhatter | 2011/11/22 8:24:31

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