# 一人残ったコダマ
クリエイターとしての評価は別にして、宮崎駿の自然観と文明観に私はやはり共感する。
リンク: asahi.com(朝日新聞社):宮崎駿監督「絶望する必要ない」 大震災への思い語る - マンガ+ - 映画・音楽・芸能
「残念なことに、私たちの文明はこの試練に耐えられない。これからどんな文明を作っていくのか、模索を始めなければならないと思う。誰のせいだと言う前に、謙虚な気持ちでこの事態に向き合わねばならない」と述べた。
また、「僕たちの島は繰り返し地震と台風と津波に襲われてきた。しかし、豊かな自然に恵まれている。多くの困難や苦しみがあっても、より美しい島にしていく努力をするかいがあると思っている。いま、あまりりっぱなことを言いたくはないが、僕たちは絶望する必要はない」と語った。
この記事を見て私が連想したのは、『もののけ姫』(1997年)のラストで、最後に一人残されたコダマの姿だ。
銃で頭を撃ち抜かたシシガミの大崩壊によって、シシガミの森は一瞬で滅びる。森の精である無数のコダマたちも、ともに朽ちていく。やがてシシガミの森には緑がよみがえり、人々は再起と復興を誓う。けれど、ラストシーンに写されるのは、森に佇むたった一人のコダマの姿......。
元どおりの自然がよみがえったように見えても、豊かさと厳しさを備えたかつての森は、実は二度と戻ってこない。それでも、人はその自然に依存しながら生きていく。
あのコダマは、そんな仮の再生を果たした森に残った最後の一人なのか、それとも仲間は少しずつ森に帰ってくるのか。最後に響くコダマの音は、寂しげにも嬉しげにも聞こえる。
11:54 午後 アニメ・コミック・サブカル社会・ニュース | このエントリ | コメント (3) | トラックバック (0)
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