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2010.08.05

# 友だちの友だちは......

翻訳について少し前に書いたエントリのことで手がかりをくれた人がいて、ある方(Y 氏とします)に mixi で連絡をとりました。

幸い、エントリで書いた趣旨はお伝えすることができたのですが、私からの "マイミク" 要請については、Y 氏の "マイミク" さん(Z 氏とします)が日記を「友人の友人まで公開」に設定しているので遠慮したい、という丁寧なお断りをいただきました。つまり、Y 氏を中間において、Z 氏の日記をまったく見ず知らずの私が読めることになるから、ということですね。

このときは、なるほどそういう考えもあるのかと納得したのですが、後から考えてみて、mixi の「友人の友人まで公開」って、なんて中途半端な設定だろうと思いました。

先に書いておきますが、この場合も Z 氏自身は、見ず知らずの人間に自分の日記が読まれる可能性を承知したうえで「友人の友人まで公開」に設定しているのでしょう。だから、今回の "マイミク" 要請お断りについては、Z 氏の意向ではなく、Y 氏の配慮だったことになります。

その配慮の是非は、ここではどうでもいいことです(きっと、mixi 界隈では日記の公開設定をめぐって、とっくにいろいろな議論が出ていたんでしょうね。私が知らないだけ)。

「全体に公開」と「非公開」と、そのほかもっと細かくアクセスを設定できる「一部の友人まで公開」ならそれぞれ理解できますが、「友人の友人まで公開」って、ある意味で非常に危険なはずです。

自分が "マイミク" に選んだ A さんという人についてはよく判っていても、A さんの "マイミク" である B さんについては何も判っていない。B さんの人柄を保証しているのは、「A さんが "マイミク" に選んだ人だから」という、もしかしたら非常に脆い根拠だけです。

そう考えたら、「友人の友人まで公開」なんて設定は、そもそも用意すべきじゃないとも言えます。この設定を成り立たせているのは、

「友だちの友だちは、みな友だちだ」

という、お気楽な性善説でしかないわけですから。

そんな風に「友だちの友だちの友だち...」という具合にネットワークが広がっていくからこそ面白いんだと考える人もいるでしょうし、逆に「友だちは OK だけど、その先はダメ、もしくは少なくとも判断保留」という態度の人がいてもそれは当然です。

こういう人間関係の難しさは、もちろんネットの特性ではありません。現実世界でも、自分の友人 A がその友人 B を連れてきたとき、自分が B さんにどう対応し、どんな人間関係をこれから構築していくか、というのはかなり難しい問題。あるいは、自分の友人 A と別の友人 C を引き合わせるには、なかなか繊細な判断が必要になる。こういうとき、あっさり新しい人間関係を作ってしまう人もいれば、かなり用心深い人だっている。

日本広告機構にも、こんな CM がありました。

「友だちの友だちは、みな友だち」とタモリが言い出したのは 80 年代の初めでした。このときすでに、この国ではいろんな場面で人間関係が崩壊しつつあったということでしょう。

「友だちの友だちは、みな友だち」というこのフレーズが、もしかしたら次々と希薄な人間関係を広めていったのかもしれません。

逆に、もともと人間関係を築きにくい人の場合には、このフレーズがいわば強迫観念となって大量の引きこもりを生み出すことになったのかもしれません。

あ、レンタルしてきた『20世紀少年』映画版の最終章、観なきゃ。

12:34 午後 日記・コラム・つぶやき |

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