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2010.07.25

# 手塚治虫、アニメーションへの片思い

先日、side B の「♭本日の日本(7/17)」で、『ブッダ』映画化というニュースを取り上げ、「手塚作品のアニメ化はもう永遠にやめたらいいのに」と書きました。

どこかの誰かが似たようなことを言っているかもしれませんが、手塚治虫という人は、アニメーションという表現技法への憧憬を抱きつづけ、でも結局、後世に残るようなアニメ作品はほとんど 1 本も作れなかった、というのが私の持論です。

漫画の神様という尊称に恥じない輝かしい経歴と数々の名作を残しながら、その一方では自身が憧れた表現形態では凡庸かそれ以下の作品しか残せなかった、その一点だけはとても不幸だったような気がします。

手塚作品をアニメ化してもあまりおもしろくならないのはなぜか。理由は簡単。手塚漫画は 1 コマ 1 コマが動画のようなダイナミズムを内蔵しており、コマからコマへの連続性が映画的な流れを作り出しているからです。つまり、原作がほとんどアニメーションに等しい形で完成してしまっている。

読者の頭の中ですでに手塚の絵は動いているわけですから、単に原作の絵が動くという以上に、演出が斬新であるとか原作を超えるオリジナルストーリーが展開するとか、なんらか付加的な魅力が必要になります。

しかし、手塚自身が制作に携わったものもそうでないものも含めて、放映当時の話題性はともかく、今となっては見るに値するレベルの作品はほとんどない、と私は思っています。毎週放映という枠をはめてアニメーションの商業化に踏み出した『鉄腕アトム』は言うに及ばず、手法的にかなり意欲的だった『どろろ』でも、手塚治虫という存在の巨大さに比べれば、完成度のうえで残念なものばかりです。

『ある街角の物語』に始まり、『ジャンピング』や『おんぼろフィルム』へと続く、いわゆる実験アニメーションの系譜にしても、各時代の実験作としてそれなりに見るべきものはありますが、どれを見ても、ほかならぬ手塚自身が「私の作りたかったアニメーションは、こんなんじゃない!!」と切歯扼腕しているように感じられてしかたがありません。

「絵に命を吹き込んで思いのままに動かす」ということに憧れを、ほとんど幻想に近い夢を追い続け、ついにその思いを果たせなかった --- 手塚治虫にとって、アニメーションというのはそういう存在なんではないでしょうか。

なんでこんなことを書いたかというと、末の娘が最近ずーっと『ブラック・ジャック』を愛読しているので私も久しぶりにそれに付き合っているわけですが、今日たまたま「動けソロモン」という話を読んだからなんでした。

連載話数としては第 225 話、チャンピオン・コミックスでは第 21 巻に収録されているエピソードで、『フィルムは生きている』の宮本武蔵がアニメーターの卵として登場します(ライバルの佐々木小次郎ももちろん顔を出す)。

このアニメーターが、白いライオンのカットだけで 500 枚もの動画を描いてプロダクションに出社しますが、社長は「できるだけ動かんほうが安あがりなのだ」
「アニメは商売なのだ!!」
と言って取り合わない。もしかしたら、これと同じような会話がかつて手塚プロで展開したのかもしれません。

09:48 午後 アニメ・コミック・サブカル |

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コメント

個人的には手塚マンガのアニメ化は、本気でやってくれる人がいるならぜひ見たいです。でも、いままで成功した例はない気がしますね。
宮崎駿が「カリオストロの城」に取り組んだように、うまい組み合わせが実現しないか、と。見果てぬ夢かなあ。

投稿: みっち | 2010/07/26 18:54:32

> 本気でやってくれる人

これまでアニメ化に挑んだどの人も、それぞれ実は「本気で」取り組んだんだと思います。もしかしたら、原作に対する思い入れが大きすぎるから成功しないのかもしれません。

投稿: baldhatter | 2010/07/28 7:47:22

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