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2009.01.08

# 歴史のおもしろさ~『種の起源』から 150 年

今年 2009年は、『種の起源』の出版 150 周年に当たります。

ネタ元: Party in Preparation: 150年と250年

中学か高校の頃、世界史と日本史の年表を横に並べて見ると実におもしろい、ということにあるとき気づいたのですが、そのきっかけになったのがこの『種の起源』発表の年でした。

1858年。

同じ年の日本は何やっていたかというと ---

安政の大獄

ですからね。

進化論と、徹底した言論弾圧。なんかもー、1858 年の時点では、笑うしかないくらい歴然とした差があるわけですよ。

ところが、ここから後の日本がスゴかった。ほぼ 10 年後に大政奉還。だいたい 30 年後には帝国憲法制定。んで、50 年しないうちにロシアにまで勝っちゃったというんだから、その 50 年間って、もしかすると戦後からの 50 年間よりはるかに変化が激しかったんでしょうね。だもんだから、当時の日本人が浮かれまくっちゃったのも、まあ無理からぬことだったんでしょう。で、そのままさらにイケイケになっちゃって、勢い余ってとうとうアメリカにも戦争しかけちゃったと。■

ところが、これよりずっーと遡って、1100 年頃の世界と日本を並べてみると、まあそんなに遜色はない感じがします。日本はだいたい藤原氏の摂関政治あたりですが、イギリスでは 1066 年が Norman Conquest、1077 年がカノッサの屈辱ですからね。まあ似たり寄ったりかと。■

16 世紀の頃も、日本では戦国時代、ヨーロッパでは海上覇権がスペインからイギリスに変わろうかというあたりで、どちらもほぼ中世の出口くらい。■

さて、今から数百年とか 1000 年経ったときにこの 21 世紀初頭を眺めてみたら、いったい世界はどんな風に見えるんでしょうね。

01:57 午前 日記・コラム・つぶやき |

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コメント

日露戦争の時の軍艦は外国製(主にイギリス製)というあたり、
今の空自の戦闘機の大半がアメリカ設計というのと似ていなくもありません。(ロシアも日本もドイツ製の野砲を使ってたので鹵獲して使えたらしいです。)

強力な同盟国を持たねば勝てないないことを、
日露戦争以降の日本人は知らなかったんでしょうね(今でもそういう人は多いかも)。

21世紀はどんな時代か、塩野七生が読売新聞のインタビューでも言ってましたが、中世ヨーロッパみたいになると思います。

この100年に一度の未曾有の世界危機をバネに、日本は再び維新を起こせるかどうかですね。

投稿: 竹花 | 2009/01/08 13:18:54

> 中世ヨーロッパみたいになる

おお、ドラゴンとか魔法使いが復活するのですか :)

> 鹵獲

これ、難読語のひとつですよ。ATOKでは変換できませんでした。

投稿: baldhatter | 2009/01/08 16:38:12

>ドラゴンとか魔法使いが復活するのですか :)

それはそれで見てみたいです。

ロカク…軍オタには必須ですが、変換できないのですね。ある意味正しい判断です。邀撃(ようげき:要撃)でますか?

投稿: 竹花 | 2009/01/08 18:39:47

> 軍オタには必須

『銀河英雄伝説』にも何回か出てきました。邀撃、おっ、こっちは一発変換されました。

投稿: baldhatter | 2009/01/08 18:51:48

ウチは今年、安静の大獄、してます。いや、だから何って聞かれても困るんで、ぜひ、スルーの方向で……

投稿: Buckeye | 2009/01/08 19:27:10

> 安静の大獄、してます

(だから、このノリは大好きですなんですって)
インフルエンザ、大変でしたね。厳寒期に入りますので、引き続きご自愛ください。

投稿: baldhatter | 2009/01/08 19:40:21

ATOKの中の人は銀英伝を読んでないということですか!
「邀撃」なんか誰が使うんでしょうね。

投稿: 竹花 | 2009/01/08 23:37:34

> 「邀撃」なんか誰が使うんでしょうね。

コミケのスタッフがお客さんを「邀撃」するようです。
http://jp.youtube.com/watch?v=uG41XYfm0Yc

投稿: baldhatter | 2009/01/08 23:48:44

お上に近いあたりを見ると「安政の大獄」なわけですが、この時期も、たぶん、せっせかせっせか海外発技術の咀嚼とかは続いていたのかもしれません。江戸のおわりに近づくころの啓蒙書とかって、すごく工夫があっておもしろいんですよ。できれば、今に生かしたいというか、なんか、日本語も一巡りしたのかなぁという感懐さえ覚えるようなものだったりします。口語風の練れた文章のなかに、海外発の概念(やなじみのない概念)が漢字語でポンポンと入っていて、それをパラフレーズしたものが横に(←こっちがルビとして)書いてあって、でも、漢字語の方をルビ扱いにして読んでいってもちゃんと読めるという構成。こうした知恵の集積がその後の時期を可能にしたのかなと(=こうした知恵の集積ではどうにもならなかった部分は、そのまま、やっぱりダメだった^^;)。

投稿: | 2009/01/09 0:31:55

> せっせかせっせか海外発技術の咀嚼とかは続いていた

そうだと思います。
何もなかったとしたら明治に入ってからのあの驚異的な吸収力はありえなかったはず。あれだけの急速な近代化を成し遂げられる下地が幕末までには出来上がっていたわけですね。

投稿: baldhatter | 2009/01/09 19:55:03

150年かかって、ようやく硬い内容も、しゃべるようなノリで語れる文体を獲得しつつある今こそ、江戸中期から末期の流れるような文体の中にテクニカルタームがちゃっかり混ざっているような(実用的)文書群(「○○草」みたいなやつ)を楽しめる時代に入ってきたんじゃないかと思います。

なんか、声に出して読むと、(いろいろ時代差でわからない語彙があるのは別として)、実用書なのに、すごくテンポがよくって、すっと頭にはいっちゃう文章が多い気がします(ときどき、ちょっとだけ読んだりするだけですが、福沢諭吉とか中村正直とか西周とかこそ「開花」と思い込んできた(私のような)石頭には、快感だったりするんですよ(でも、やっぱし、よくわかんないんですけどね^^;)。

投稿: | 2009/01/09 20:44:54

> 江戸中期から末期の流れるような文体の中にテクニカルタームがちゃっかり混ざっている

明治の文人たちにもそれなりの苦労はもちろんあって、その恩恵を私たちはたくさん受けているわけですが、そのとき失われてしまったものも少なくなかった。この「ちゃっかり」感もそのひとつなんだと思います。
川柳や地口は言うまでもなく、おそらくどんな "実用" の中にも遊びを盛り込むというメンタルな余裕があったんですね。

たまには、そんな本をゆっくり楽しむ時間がほしいなぁ。

投稿: baldhatter | 2009/01/09 21:24:52

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