« # FileVisor | トップページ | # 訃報 - 大野晋 »

2008.07.13

# 「俺々詐欺」が読めないじゃないか

国語審議会ってあいかわらずアホなのねと書こうとしたのですが、「国語審議会」という組織はいつの間にかなくなってわけでした。今は、「文化審議会漢字小委員会」。

リンク: 常用漢字改訂、「俺」で大モメ:社会:スポーツ報知

文化審議会漢字小委員会の常用漢字表改定作業が、来年2月の最終案作成に向け大詰めに入る。現在の1945字からどれだけ増やすかが焦点。第2次追加案に残った188字の中では意見の隔たりが大きい漢字もあり、絞り込みには、まだ曲折がありそうだ。特にもめているのが「俺」という漢字。普段の生活ではごく普通に使われているこの字も「子どもに教えるべきものか」などとの意見もあり、結論は先送りされている。

常用漢字(それ以前は当用漢字でした)などというワケノワカラン枠で漢字教育を制限しようという試み、これも間違いなく戦後愚民化政策の一環なわけですが、そもそもその枠を決めているみなさんが、すでに愚民らしい。

今回増やす字数として、いったいどこから「188字」という字数が出てきたんでしょう。1945 + 188 = 2133。特に意味はなさそうですが。

それで唐突に思い出しました。

今の「常用漢字」が制定されたのは、ちょうど私が大学生の頃だったのですが、そのときある友人が「1945 字という数字が意味ありげでいやだなぁ」と言ってました。

09:23 午後 翻訳・英語・ことば |

はてなブックマークに追加

« # FileVisor | トップページ | # 訃報 - 大野晋 »

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: # 「俺々詐欺」が読めないじゃないか:

コメント

枠を決めて制限するよりも、いかに楽しく漢字を学習させるかを考えればいいのに。子どもなんて、教えれば教えただけ吸収すると思うんですけどねぇ。
小学生の息子は友だちと競争で、虫偏とか魚偏の漢字集めをやってました。すごく楽しそうでしたよ。それはいいんですが、後日、覚えた漢字でクイズを出されて閉口しました。「おけら」なんて書けませんって。(^_^;
今は「難読漢字の読み方」とか「書けなくてもいいから読みたい漢字」といった本を眺めて喜んでます。

投稿: Ado | 2008/07/14 9:21:11

「螻蛄」ですか。ATOK くんが変換してくれましたが、初めて見ました。

> 「難読漢字の読み方」とか「書けなくてもいいから読みたい漢字」といった本を眺めて喜んでます

頼もしいです。

投稿: baldhatter | 2008/07/14 13:57:24

 ちなみに、私は、強固な漢字制限論者ですよ。増やすなんて、とんでもないというのが持論だったりします。漢字に頼る発想が、造語力を弱めていることに、そろそろ気づいてよいころです。漢字を使う自由=言語の創造力という発想自体が、歴史的にまったくまちがっていると思います。(江戸末期~明治の造語力は、あれは、「漢字力」じゃなくって、「漢語力(中国語力)」(漢文を白文ですらすら読めて一人前という文化の力)と考えるのが妥当かと。江戸末期の文献を読むと、新語(漢字語)には、読みがな(ルビ)じゃなくって、そのままその部分は漢語を飛ばして横にふってある小さな文字を音読すると子どもでもわかるような注釈みたいなものがルビの体裁で降ってありますが、それって、ほとんど、その部分の「翻訳」に対応するものだったりします。つまり、漢語側で造語してる、ってことです(決して、日本語内の漢字の知識で造語してるんじゃありません)。また、魚へんのつく漢字を楽しめるのは、それが「遊び」だからで、それが強制的な勉強じゃないからです。
 そういう発想もあるということで。

投稿: Sakino | 2008/07/15 0:08:57

補足しておきます。

このあたり、あの「国語審議会」の顔ぶれとか、審議内容とかを見ても、「ああいう人たちに、ことばの使い方を《制限》なんてしてほしくない」という感想しか抱けないんじゃないでしょうか(そして、そういう感想を抱きたくなるのは、当然だと思います。

でも、戦後、革命的に漢字が制限されたのは、国語審議会のみなさんがどうこう、というよりは、階級社会(戦前は、漢文の白文をすらすら読める階級と、そうじゃない階級が存在していた、つまり、にほん語と漢語のバイリンガル階級と、にほん語だけの階級があったということ。学制も2コースに分かれていたわけだし)をやめるという流れに、あの国語審議会のみなさんもさからえなかった、と考えた方が、ツジツマがあってると思います。その後の、国語審議会はといえば、いじいじと、復古的に漢字を増やしてきたわけです(漢字二字熟語信仰を温存しながら、ね)。
 「俺々詐欺」なんて、「オレオレ」の表記の方が、実際の使われ方ともぴったり合っていませんか?
  最低限、江戸時代末期からの長いスパンで考えた方がよいというのが、私の考えです。

投稿: Sakino | 2008/07/15 1:23:02

Sakino さん、コメントありがとうございます。

こういうコメントをいただけるのが、ブログを続けていていちばん面白いことだとつくづく思います。

> 漢字に頼る発想が、造語力を弱めている
> 漢字を使う自由=言語の創造力という発想自体が、歴史的にまったくまちがっている

その辺りは私の不勉強と言うほかありません。大枠は理解できますが、機会があればもっとじっくりとお話を伺ってみたいテーマです。

まったく野放図に無制限でいいと思っているわけではなく、

> 「ああいう人たちに、ことばの使い方を《制限》なんてしてほしくない」という感想しか抱けないんじゃないでしょうか

まさにこのご指摘どおりです。あるいは、小学校で低学年の子供が、知っている漢字を「書いてはいけない」と指導されていたりする、そういう運用方針のおかしさは勘弁してほしいということです。

> にほん語と漢語のバイリンガル階級と、にほん語だけの階級があったということ。学制も2コースに分かれていたわけだし)をやめるという流れに、あの国語審議会のみなさんもさからえなかった

なるほど。戦後政策の一環というのは判っていましたが、「にほん語と漢語のバイリンガル」という視点は改めて新鮮です。

> 漢字二字熟語信仰を温存

これでまっさきに連想したのが、クライアント指定の翻訳仕様で「使う=×/△、使用する=○」というルールが少なくないこと。漢語重視、和語軽視の傾向は根強いようです(しかも口語非推奨と区別できていない)。

投稿: baldhatter | 2008/07/15 8:35:45

Sakinoさんの
△俺々詐欺<<<<○オレオレ詐欺
には賛成ですが
「頼るべきでない」が「禁止(制限)すべき」に直結するというのは論理自体がおかしくありませんか?

「造語力」「言語の創造力」を「今までになかった言葉が生まれ定着するという(どの言語にもある)現象」の起きる頻度と解していいのであれば、日本語のそれが英語や中国語よりはるかに上であるのは確かだと思います。表意文字表音文字併用のもたらす柔軟性ゆえだとか、大量の言葉輸入を可能にしているのはカタカナの存在だという定説ならば昔からよく聞きますが、
>漢字を使う自由=言語の創造力という発想
これをイコールでつなぐほど乱暴な主張があるとは知りませんでした。

IT翻訳という特殊な分野に限ったお話とも読めないのですが、前提が違いすぎて面食らっています。漢字制限は差別用語禁止と同様、毎度毎度仕事の邪魔・頭痛の種であり、いい加減にしてくれんかなぁ、が(少なくとも私の接した範囲内の翻訳者さん共通の)本音なんですけどね。認識不足だったようです。
(ちなみに自分は文学畑出身現エンタメ翻訳者であります)

投稿: ハーブ | 2008/07/15 9:22:53

個人的には、白川静さんの著作を教科書に使ってもらいたいくらいですけどねえ。漢字がどんな成り立ちをしているかをきちんと教えれば、わが子の命名に、姓名判断本をもとに字画優先で無理な読みをつけるような風潮はなくなっていくのではないでしょうか。あ、もしかして、それが造語力が強まっているということなのかな?

投稿: みっち | 2008/07/15 18:46:28

「言語政策」というものは存在するわけで、そこには、「禁止や制限」はつきものでしょう。戦後に策定された政策がもし存在していなかったら、5000字、10000字おぼえないと一人前とみなさないぞ、という別の政策が、それはそれで存在していたわけですし、それだって、「禁止や制限」という位相に関するかぎり、本質的には、一緒だと思います。表記に関する言語政策というのは、中味が問題なわけですが、あってよいと思います。

「おぼえなきゃいけない数」というのは、ある程度以上増えると、「なにがなんでも漢字をつかえ」とプレッシャーと同義になります。そうすれば、漢字以外(漢字かな混じりの用語とかも含む)の表記を工夫する余地は、加速度的に狭まります。

ちなみに、翻訳にはなしをもどすと、「引っ張り強さ」というレッキとした用語がありますが、これを、「引っ張り強度」じゃないといけない、といって全部訂正するチェッカーなんていうのまでいるんですよ(あるいは、「硬さ」→「硬度」とか)。先人の工夫を台なしにしないでほしいです。いいかげんにしろ、といいたいです。

最初に訳語をつくるときに、妙にむつかしい漢字をつかえば足りるとする発想が蔓延しているのが、はなしをややこしくしてるんじゃないでしょうか。だから、後の人が「制限があると不便」なんていう議論をしないといけなくなる(別に、現行の規制を100%すばらしくて変更の余地なしっていってるわけじゃないですよ。念のため。)なんでも、「不便だから制限するな」なんていってると、自分の子どもや孫の代になったら、10000字の時代に逆戻りしちゃいますよ(第二外国語としての漢語という存在なしの10000語は、きついっす^^;)。

投稿: Sakino | 2008/07/15 18:51:20

(ハーブさん、みっちさん、Sakinoさん、コメントそれぞれありがとうございます。以下順不同に)

> 漢字がどんな成り立ちをしているかをきちんと教えれば

私が小学生の頃の先生たちはその辺をいろいろ教えてくれました。別に文科省の指導要領に書いてなくても、教師の裁量で教えればよいと思います。

> 「頼るべきでない」が「禁止(制限)すべき」に直結するというのは論理自体がおかしくありませんか
> 「言語政策」というものは存在するわけで

「頼る」つまり個人レベルの言語運用と、国家その他による言語政策との間には相当の隔たりがあると思いますが、言語政策一般にも、本邦戦後期における政策についても私は詳しくないので、ごく個人的な見解だけ付記します。

私は個人的に「あらゆるシステムは妥当な範囲で例外を認めるべきである」というスタンスをとっているので、たとえば常用漢字なら「2000字くらい」みたいな決め方でいいんじゃないかと思っています。
だから「俺」を入れるかどうかで紛糾という、そのバカバカしさに呆れているし、あるいは「晩さん会」とか「家きん肉」という表記に面食らってしまうという、それだけのことです。

> 最初に訳語をつくるときに、妙にむつかしい漢字をつかえば足りるとする発想が蔓延している

その辺りは、「社会」や「哲学」という翻訳語を生んだ明治期の伝統をよくも悪くも引きずっているんでしょうね。そのこと自体の是非は措くとして、「硬さ」→「硬度」というのは、私が挙げた「使う=×/△、使用する=○」という例と同じく、たしかに漢語重視の弊害だと思います。

ただ、自分の専門分野ではないので「引っ張り強さ」という和語ベースの訳語の方が適切なのかどうか、それは感覚として判らないのですが、和語は文中に埋もれやすいことがあって漢語の方が気楽というときはあります。そう感じること自体が、漢語偏重の影響なのかもしれませんが。

投稿: baldhatter | 2008/07/15 19:59:54

「強さ」に関しては、「~さ」くらいは、テクニカルタームとして認めてくれないと(つまり、「強度」は一律にダメということでなく、両方使わせてくれぇぇ、という悲鳴)、語彙が足りないって、切に思います。これ、直したがるチェッカーというのは、バイオ分野の人に多いようで、バイオ分野は、基本が化学屋的抽象概念の世界なので、strengthは、けっこう「強度」でうまくいくんですよ。でも、機械になると、「強さ」「硬さ」「明るさ」なんていうのを使うとうまくいくケースがぐっと増えるんですが、そういうこともわからずに、なんでも、漢字二字というふうに思いこんでる人が多いみたいです。細かいはなしで恐縮です。

投稿: Sakino | 2008/07/15 20:16:46

「私は個人的に「あらゆるシステムは妥当な範囲で例外を認めるべきである」というスタンスをとっているので、たとえば常用漢字なら「2000字くらい」みたいな決め方でいいんじゃないかと思っています」とおっしゃるあたりの感覚、実際にどうするかという細かいことは別として、共有していると思います。

投稿: Sakino | 2008/07/15 20:39:28

> 「~さ」くらいは、テクニカルタームとして認めてくれないと
> 機械になると、「強さ」「硬さ」「明るさ」なんていうのを使うとうまくいく

あぁ、そういう方向性なら納得です。
私も機械系翻訳は少しやるのですが、機械系だと JIS 用語でも「歪み」とか「たわみ」とか、そういう和語ベースの訳語が少なくないですよね。分野も考えずに漢語にしたがるというのはいただけません。

> 実際にどうするかという細かいことは別として、共有していると思います

ありがとうございます。
実際の世の中はそういう「細かいこと」の積み重ねで出来上がっているわけでしょうけれど、だからこそ "あそび" の部分が必要だろうと思います。"あそび" ばっかりで生きているお前が言うな、と叱られそうですけど :P

投稿: baldhatter | 2008/07/16 0:03:51

クライアントの要請、政府レベルの「言語政策」、マスコミの「自粛」など、ひとくちに漢字制限といっても主体や対象はさまざまです。それを混同されては、議論が噛み合わなくて当然ですね。ましてや「言語政策の存在を肯定するか否か」と「増やすべきか減らすべきか」はまったく別の問題だという認識すら共有できないとあっては…。
>強固な漢字制限論者
という方のご意見を伺ったのは初めてですが、勉強になりました。

投稿: ハーブ | 2008/07/16 2:34:31

ハーブさま

「混同」という決めつけも酷いものですね。増やす・減らすが、言語政策として存在していると述べたとがんに、「混同」と決めつけられては、そもそも議論など存在しようもありません。

言語政策が、結果的に「個人」と称されるものの感性に影響を与えていることを指摘しても、理解はしていただけないんでしょうね。

つながっている別の問題、別の問題にみえるつながっている問題を、ときとして別の問題として立て、ときとして一つの問題として扱うという自在さを持ち続けたいと思います。

投稿: Sakino | 2008/07/16 14:34:53

この記事へのコメントは終了しました。