スタイルガイドの内容はふつう大きく 2 つに分けられる。ひとつは「コンピュータ/コンピューター」、「たとえば/例えば」といった機械的な表記上の規則だが、これは新聞社や出版社などでも当たり前に行われている慣行であって、多少の不合理は見られてもおおむねそういう決まりだからと納得できるものが多い。そしてもうひとつは訳文の文体、つまり受動態や命令文の訳し方を定めている規則なのだが、この規則がそもそも合理性を欠いていたり、ベンダーや翻訳者がその運用を誤ったり --- その多くは過剰反応だと思うが --- した結果が、世に出ている誤訳・悪訳の一因になっているのではないか。
もともとは "大枠" のはずだったのに、それを律儀に守りすぎたせいで、あるいはそれを守ってさえいればいいという思考停止のためにおかしな結果が生じる --- 世の中にありがちなパターンの、これもひとつなんだろう。そのあげくに生まれたのが、次のような珍訳たちだ。
「レジスタおよびCPUの間で」
いったいどこの間なんだか判らない。and の訳し方を指定しているスタイルガイドは少なくないが、その真意は伝わっていないことの方がむしろ多いらしい。
「パスワードを使用せずに解凍できません」
妙にぎこちない日本語。きっと、「~することはできません」は冗長な表現だと仕様に書いてあるんだろう。
この手のおかしなスタイルガイド(の解釈)やマニュアル文体を鋭く指摘しているブログがあるので紹介しておく。
IT翻訳者の疑問
ところで、これは私の勝手な想像なのだが、文体に関するルールで最初に決められたのは、次の 2 項だったのではないだろうか。
・操作を表す命令文は「~してください」ではなく「~します」と訳す。
・無生物主語をそのまま訳出しない。
ひとつ目は日本語の特性(語尾の種類が多くない)から生まれた苦肉の策に違いない。
- Open the New Profile.window.
- Hogehoge.
- Run the specified script.
のように並んでいる操作手順を命令文としてふつうに訳してみたら「~してください」という文ばかり続いてしまって、なんだか煩わしかったから、「~します」という無個性な文末にしてみた、というあたりか。ただしこの文体は最近あまりに当たり前になっていて、許容範囲になりかけている気がしないでもない。
それより罪が重いと私が踏んでいるのはふたつ目だ。
The windows displays the query result.
こういう文を「ウィンドウがクエリー結果を表示します」みたいに訳したヤツがいて、それを読んだドキュメンテーション担当者が「日本語では無生物を主語にしちゃいかん!」と決めた。だからこういう訳文まで現れるようになる。
Specify the directory where the AAA Tool should place inventory files, then click OK.
「AAAツールでインベントリファイルを配置するディレクトリを指定し、[OK]をクリックします」
「~が」のかわりに「~で」とか「~では」を使うという手法は、うまくいく場合もなくはないが、基本的にはかなり不思議な日本語(ときに誤訳)を生み出してしまう。助詞ひとつだけでこんな意味不明の訳文になってしまうくらいなら、そのまんま
「AAAツールがインベントリファイルを配置するディレクトリ~」
と直訳しておいた方が、少なくとも意味は通じる。
こんなことを書くと、他の分野の翻訳者からは呆れられてしまうかもしれないが、これが IT 系翻訳の現実の一面であることは間違いない。
IT 系以外では、スタイルガイドってどうなっているのだろう。
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