# 小銭リレー
消費税導入の直前には、1 円玉の存在感というのが社会の中でかなり稀薄になっていました。
ところが、消費税が導入されたおかげで --- 特に最初は 3% だったので --- 1 円玉が活躍する場面はにわかに増えました。というくらい、「消費税と言えば、わずらわしい端数」というイメージも強かったわけです。
そんな頃にふと考えたのが、「スーパーのレジで小銭をリレーしたらどうだろう」ということでした。
レジに並んだ先頭の客は、普通に会計して 5 円玉や 1 円玉を受け取ります。その小銭を、2 番目の買い物客にあげちゃいます。まあ、最初の人はまるまる損をするわけですが、小銭をいやがる人なら案外そのくらいは平気かも。
2 番目の客は、自分の会計にその小銭を使います。ちょうど使い切ることも、自分で小銭を足すこともあるかもしれませんが、もし余ったら、それを 3 番目の客にあげちゃいます。この人も損をする場合があるわけですが、小銭をいやがる人なら(略)。
以下同じことを繰り返せば、5 円玉や 1 円玉がそれほど邪魔者扱いされずに済むのではなかろうか。
以上、家計の防衛とか、そーゆー正しい発想はまったく度外視した、ただの思いつきです。
09:29 午後 日記・コラム・つぶやき | URL
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コメント
最初の人が損をしてもあとの人がちょっと得すれば良いという考え方、素晴らしいと思います。これこそのが、社会保険維持のための消費税増税とかガソリン税維持の根本なのですが、まあもめてます。
人間の損得勘定はアダム・スミスが考えたほど理性的ではなく、その場の雰囲気に流されやすく、目の前の利益を求めやすいそうです。
投稿: 竹花です。 | 2008/03/13 0:26:08
アメリカのスーパーのレジでは1セントや5セントが
置いてあって勝手に端数に使ったり店員がそれ使って
調整したりしてた気がします。釣りの計算できない
人とかいますからね。
投稿: 板倉 | 2008/03/13 22:37:26
> 人間の損得勘定はアダム・スミスが考えたほど理性的ではなく
アダム・スミスでもマルクスでも、あるいはキリストやお釈迦様でも、つまりは哲学だろうと宗教だろうと経済学だろうと、かつて「人間」を語ってきた方々が説く論はすべからく、基本的に人間というものを甘く見過ぎています。なのに、人々がそんなものに頼って生きようとするから世界がロクなことにならない。
今朝(3/18)、チペット自治区のニュースとか朝日の社説を見ていてそう思いました。
> アメリカのスーパーのレジ
あ、そーいえば見かけたことあるかも。連中、そーゆーところは合理的かもしれません。
投稿: baldhatter | 2008/03/18 10:19:10