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2007.01.10

# 八人の侍

リンク: 映画「七人の侍」は智頭がモデルだった!?

農民に雇われた侍が野武士から村を守る故・黒沢明監督の名作「七人の侍」と同様の“出来事”が、中世の鳥取県智頭町であったことが、横浜市金沢区の金沢文庫所蔵の古文書に記されている。現在の同町那岐地区で、農民が自己防衛のために用心棒を雇い、村を守る防護柵を作った費用などがつづられた文書は、映画のシナリオに酷似。

鳥取県「ちず」町と読むそうです。「那岐」という地名も由緒正しげ。

 資料は横浜市金沢区にある金沢文庫所蔵の「称名寺(しょうみょうじ)文書」の一つ「因幡国智土師郷上村結解状(いなばのくにちはじごううえむらけちげじょう)」(1342年)。町誌などによると、那岐地区は鎌倉時代の末期、智土師郷東方上村(現・同町奥本)と呼ばれ、幕府の重要な祈願寺であった称名寺の領土となっていた。しかし、南北朝の動乱期に入ると幕府の後ろ盾を失った寺領の農民たちは反幕府勢力から略奪を受けるようになり、自己防衛手段を取らざるを得なかったという。
 結解状(中世の収支決算書)には、用心棒八人分の費用二十四石のほか、防護柵や堀を作ったとされる「城こしらえ」作業員の食料など、村の防衛に使った費用が記されている。
 「影武者」「まあだだよ」「乱」などの黒沢作品に出演し、監督と親交の深かった俳優の油井昌由樹さん(59)=東京都=は二十年ほど前に「江戸勤めの侍の日常生活を描いた作品を考えているときに、『農民が武士を雇った資料があった』という記事のようなものを見て、そこから一気に『七人の侍』のシナリオが出来上がった」と黒沢監督から聞かされたという。  智頭町誌編さん室の村尾康礼さんは「三十年以上、歴史研究に携わっているが、農民が武士を雇う資料は称名寺文書しか知らない」と黒沢監督が見た資料が同一のものであった可能性を指摘する。

06:46 午後 映画・テレビ |

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コメント

> 鳥取県「ちず」町と読むそうです
町としての名称は「ちづ」
ttp://www1.town.chizu.tottori.jp/dd.aspx

ちなみに、智頭の名を一躍全国区に押し上げた優良第三セクター鉄道・智頭急行株式会社では、「ちずきゅうこう」と表記しています。
ttp://www.chizukyu.co.jp/

投稿: 白い都 | 2007/01/11 0:39:29

> 町としての名称は「ちづ」
> 智頭急行株式会社では、「ちずきゅうこう」

行政上の地名と民間が付ける名前が違うというの、ときどきありますよね。

東京だと、国鉄(当時)山手線の呼び方がそうでした。私が子供の頃、東京のいわゆる上流地域を指すことばは「やまのて」でしたが、電車は「やまてせん」と呼ぶのだとわざわざ教わったものです。これは、戦後 GHQ が「YAMATE」とローマ字表記したためだそうで、その後(1971 年)には、昔のように「やまのてせん」の呼び名に戻ったそうです。
たしかに、ヨドバシカメラの CM(東京ローカル)でも、かなり遅くまで「やまてせん」と歌ってました。

投稿: baldhatter | 2007/01/12 17:06:22

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