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2005.06.26

# SW Episode 3、先々行

小生、それほど熱烈な SW ファンではありませんが、四半世紀前にあのインパクトを受けてしまった世代の一人には違いなく、「最後まで見届けなきゃ」という義務感と、お祭り大好きというノリだけで行ってまいりました、先々行上映(第1作で成功したシリーズものは、こういう層を動員できるところが強みでしょうね)。と言ってもそれほどリキを入れるつもりはなかったので、出かけたのは地元の貧弱な映画館。23:45 の最終回、満席には至らず。

とりあえず Star Wars Saga の最終作。小生としては十分 OK な出来でした。旧シリーズ含めた出来の順で言えば、4 → 3 → 1 → 5 →//→ 6 → 2 というところでしょうか(// のところに深ーいクレバスがあります w)

ということで、以下はネタバレ含む感想です。ラストまで含めて思い切りネタバレありですので要注意。

SW シリーズ、個々の作品の出来はともかくとして、ストーリーテリングの要素は決して悪くないんですよね。

Saga のある時点から見せ始めて、後から前史を描くという構成。主人公(ルークちゃんね)には、もちろん出生の秘密と特殊な能力があって、でもその能力はまだまだ未熟だから、それを導いてくれる師匠が現れる。出生に秘密があるとくれば、ヒロインが実は双子の sister でも驚かないし、敵の首領は仮面を剥くまでもなくお父ちゃんに決まっている。Force という同じアーツに good と evil の二面性があって、敵と師匠との間には何やら因縁が...。貴種流離、双子、求道と成長、親殺し、両義性...と(西洋)物語的要素はてんこもりで、どうやったってそれなりには面白くなる。

それを SF に、しかも 1970 年代にさえ古臭くなりかけていたスペオペ世界---69 年には「2001 年」が世に出ている---で描いたところが、第 1 作の凄さでした。

そんな要素を持ちながら、エピ 5 は脚本のマズさゆえに観客に大いなるイマイチ感を残し、続く 6 はイウォークなどという意味不明なぬいぐるみを登場させたおかげで、お子様映画の印象が決定的になってしまった。新シリーズが公開される頃にはファンの方も構えができていて、エピ 1 は無難な出来と子供時代のアナキンの可愛さで何とか救われたものの、エピ 2 では薄っぺらな特撮の傾向がますます顕著になり、しかも成長したアナキンに魅力が乏しいうえに、ストーリーはいかにもシリーズ中盤の説明的な進行。

よくこれでシリーズ続いたものですねぇ w。世界中の SW ファンって、よほど寛容なんだなあ。結局、第 1 作(エピ 4)の威光だけでその後も続いてきたシリーズってこと?

で、今回のエピ 3 で Saga が一応完結するわけですが、今までの物語の missing link として、それなりには納得のいく出来でした。最後をこんな風にまとめてくれると、各エピソードに色々不満があってもシリーズ全体に対する評価も以前より良くなりそう。ルーカス監督もようやく面目躍如というところでしょう(名誉挽回、か)。

エピ 3 成否の最大のカギは、当然ながら「アナキンがいかにしてダース・ベーダーとなったか」を描くことにあるわけで、それに失敗したら今作は存在意義すら失います。描写は不足気味ながら、この点にはまずまず成功していたようです。

おおかたの予想通り---だと小生は勝手に思ってます---、アナキンが Dark Side に捕らわれてしまうのは、とどのつまりは個人的な理由なのですね。愛する者を失いたくない、それが最大の動機。パドメ---今回はもう密かに「妻」ということになっている---の懐妊を知ったアナキンは、出産で彼女が死ぬという予知夢を見てしまう。彼女を救うには Dark Side の力しかない。これはなかなか良い設定です。こうするとルークとレイアが、実はその誕生そのものに暗い影を背負っているということになる。そしてもちろん、将来迎えることになる父子の対決にもその影はついてまわる。物語的に上手い展開だと思いました。

それだけに、その決意に至る心理描写、アナキンの葛藤とか、ジェダイ評議会での孤立感とその理由とかはもう少し丁寧に描かないといけなかった...というのは、ないものねだり。Hayden Christensen も Natalie Portman も、表情だけで語らせるにはちと足りない役者さんなんでした。ただし、ダース・ベーダーという名を「与えられ」てからの Hayden Christensen は、なかなか凄みがあります。

逆に、Natalie Portman はエピ 2 と同じくらい、見るところなしです。女は添え物、の典型。

さて、迂闊にも失念していたのですが、アナキンが Dark Side に落ちてしまっていちばん辛い思いをするのは、オビ=ワンなのですよね。今回最大の見せ場は、アナキンの変貌ではなく実は彼の悲しみです(クレジットを見ても、今回の主役はあくまでもオビ=ワンだし)。オビ=ワン としての Ewan McGregor は、新シリーズの中では最高だったでしょう。これを見た後でエピ 4 のオビ=ワンを見ると(あるいは思い出してみると)、色々と腑に落ちるところがあるはずです。これから観る方も、旧シリーズの少なくともエピ 4 だけは見(直し)ておくとよいかもしれません。

ツッコミどころは、もちろん山盛りです。パルパティーンが今までどれだけ周到に準備をしていたのか判りませんが、軍を意のままに操れるのはともかく、議会があんなに簡単に動いちゃうのはいかがなものかと。まあ政治を描く映画じゃないんで仕方ないですが、それまで各惑星代表から成る議会を持つ共和国(という名前の連合体)だったものを、「これからは帝国だかんね」と言われてそんなにあっさり拍手するなよ..。よほど根回しが完成していたのだろうか? とか。

一転して追われる身となったジェダイのみなさんも、ウィンドゥとヨーダとオビ=ワン以外あまりに弱すぎ、とか。ウーキー出てくる必然性あるのか? 旧シリーズに合わせて、3 作目にはサルを出すのがお約束なのかな、とか(注: ウーキーは本当はサルではありません ^^)。

まあそんなこんなですが、終盤からエンディングまでのもって行き方はさすがに堅実でした。パドメはルークとレイアを生むために、アナキンは瀕死の重症から "例の" コスチュームで蘇るために、それぞれ手術台に乗せられている。交互に映されるこの場面こそ、Saga が完成する瞬間です。アナキンが死んでダース・ベーダーが生まれる。パドメが死んで次の世代たる二人が生まれる。このくらい判りやすく主題構造を提示するというのは、受ける物語の必須要素ですね。生まれてくる子供の名前をもう決めていた---双子だということは、きっとこの時代だから定期健診かなんか受けて知ってたのかな ^^ ---ところにはカクっときましたが、アナキンがあのマスクを被されるシーンは、ちょっとうるうるものでした。

そして、ルークとレイアは敵の目を逃れるために別々の場所に預けられる、ということでラストシーンは惑星タトウィーン。こういうところはファン心理を外してませんね。あの「2つの太陽」には、無条件にやられてしまいました。

これで一応の格好はつけたんだから、エピ 7 とか 8 とか 9 は、もうやめましょう。

ビジュアルについてはもう、あれですね。これからこの手の映画の画面は、どんどん漫画に近づいていくんだろうなぁ。

05:59 午前 映画・テレビ |

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