# Kingdom of Heaven
リドリー・スコットが、またなんでオーリーを? と首を傾げつつも、Kingdom of Heaven 観てまいりました。
実は小生、RotK(The Lord of the Rings の第三部、念のため)ショック以来、洋画全般からすっかり足が遠のいており、CS 放送をメインに邦画ばかり観ていたのですが、今作ばかりは、久々に洋画に対する不満が解消された思いでした。
本来は1時間近く長い尺だったそうで、現在の公開版は、いわばストーリーが辛うじて判る程度に編集したダイジェスト版というところ(長尺版 DVD が来年出るそうなので、辛抱して待つことにしましょう)。ストーリー展開のあちこちに不自然さと説明不足が目立つのはダイジェスト版ゆえなのでしょうが、世間の評判を見ていると、それ以上に「判りにくい」やら「主人公がイマイチ」、「退屈」という声が上がっているようです。どこがどう判りにくいのか、小生にはよくわからないのですが、結果的に「不親切な映画」になっていることは確かかもしれません。
以下、ネタバレありです。
とにかく全編、絵を楽しみましょう。リドリー印、健在です。
広大な風景---フランスの緩やかな台地や、港から眺望した地中海、そして砂漠の遠景---を撮るときのパンニングの申し分ない加減。フレームに入った人物の性格や関係さえ的確に描く構図。ものの質感だけでなく、暑さや湿度まで伝えるよう計算された光と影。Master and Commander で描かれた海も十分の迫力でしたが、この映画でちらっと出てくる荒天の海は、そのまま一枚の画になるような美しさなのでした。
攻城戦ということで TTT や RotK との類似を指摘する向きもありますが、似たようなシチュエーションを、格段に上質な絵で描いたところをみると、Peter Jackson のような、いわば "ぽっと出のオタク監督" に対する当てつけかな、とも邪推したくなります。
特に乱闘シーンでは差が歴然。PJ の、特に RotK の乱闘シーンは、はっきり言って「汚なかっ」た。動きが早ければスピード感が出ると勘違いしているかのような乱雑な撮影で、観ていていたたまれないくらいでした。最近の歴史大作 Troy や King Arthur はもう少しマシでしたが、それらにしても殺陣が面白いという程度で、撮影は凡庸の域を出ませんでした。Kingdom of Heaven では、乱闘でさえ美しい。人物を仰ぐ角度を多用して、しかもそこに太陽を映しこむショットは特に秀逸(同じく乱闘シーンでのコマ落とし手法は、何度か見るとちょっと鼻につくかも)。
Bladerunner では、近未来の L.A. の風景を描く通奏低音として、そぼ降る酸性雨が印象的でしたが、今回それに当たるのが「砂」でした。視界を遮る砂嵐、風紋を作り流れる地表の砂、兵士の血が沁みこんでゆく砂...。観ていると口の中がじゃりじゃりしてきそうな臨場感です。
オーリーでこの映画を売ろうというのは、例によって日本の映画業界にありがちな愚行なわけですが、Orlando Bloom を主役に配したキャスティング自体は是であろうと思います。どう贔屓目に見ても、主人公 Orlando Bloom より脇を固めている役者の方がイイですよね? このような「弱い」主人公、そして周囲の人物とのバランスこそ、実はこの映画のキモなのではないかと。
先ほど Bladerunner を引き合いに出したのは、これら二作品の間に相似パターンが見受けられたからです。
Bladerunner は、人間 vs アンドロイドという戦い(もしくは一方的な殺戮)を経る中で、人間である主人公 Deckard がその殺戮の正当性、アンドロイドの生存権、ひいては人間である自分という存在にまで疑問を抱くようになり、そして最後までその疑問が解決されることはないという映画でした(公開時にはこのテーマがぼかされてしまいましたが、最終版で明白になっています)。
Kingdom of Heaven では、これがクリスチャン vs イスラム教徒という図式になります。主人公 Balian は、冒頭から Christianity に対する疑念を抱かされたまま、その対立の真っ只中に身を投じます(余談: 自殺した者の魂は救済されないという残酷さについては『テス』などでも触れられているのですが、日本人にはあまり馴染みがないでしょうか?)。
十字軍の掲げる大義と理想の大嘘、アラブ側の正義と正当性、敵将サラディンの清廉さ、そしてつかの間の平和をその人格で辛うじて支えているエルサレム王(ボードワン4世)。それらに直面したとき、普通の "ヒーロー" なら自らの意思と判断で去就を決めるところでしょう。でも我らが Balian にはそれができない。なぜなら彼は、聖地と言われるエルサレムに来てさえ、自身の信仰(もしくは信仰に対する信頼)を、望んだ形ではついに満たされえなかったから。
つまり、アンドロイドの生存を否定しえなくなり、自分が人間であるという立脚点すら危うくなってゆく Deckard と同じように、Balian もまた拠って立つべき土台を持ちえなかった。そのことが、主人公を「立場のふらふらした」キャラクタに見せてしまうわけですが、その「ふらつき加減」こそがこの作品の真意、監督の意図なのであって、それを見逃すとこの映画を正しく評価できないことになります。
ところで、現代の、特に日本人にとっては「(ゴルゴタの丘に立ってさえ)神の声が聞こえなかった」という Balian の絶望感、もしかしたらそれがいちばん判りにくいのかもしれませんね。人が「良き人生」を生きるための基盤といえば、それは宗教以外にありえないという世界観そのものがピンと来ないわけですから(ただし Balian の場合、宗教のほかに父から譲り受けた Knight としての使命感というものがあり、それだけが彼を支えてゆくことになるのですが)。
そんな絶望感を抱くしかない彼の周りで、さまざまな立場の人間が「神」の名を口にします。「神」の名で「聖戦」を戦っていると信じて疑わないアラブの民。「神」の意思を口実に女子供を見捨てようとする司祭。誰もが語る「神」とはいったい何なのか。エルサレムという地は彼らにとっていったい何なのか。Balian は、最後までその答えを得られないまま、状況に流されて戦いに臨んでゆく(「状況に流され」ちゃう主人公というのも、一般に受けがよくないのでした)。
Balian: What is Jerusalem worth?
Saladin: Nothing....Everything
このやりとりこそ、この映画の最大のクライマックス。「たかがエルサレム。されどエルサレム」といったところでしょうか。実に味わい深いセリフなのですが、万人にとって親切かつ判りやすい結論にはなっていません。最終解答を拒む作品というのはそれだけで評価が真っ二つになりがちです。もしこの映画を観てイマイチ感を覚えた方がいるなら、視点を変えて観てみることをお勧めします。
(余談ですが、邦画『もののけ姫』のときも「テーマが曖昧」という声が周囲から多く聞こえ、愕然とした覚えがあります。『もののけ姫』も、<自然 vs 人間>という対立について監督が最終解答を拒絶した映画でした。むしろ「答えなんかない。みんな自分で考えろ」という姿勢こそが監督のメッセージだったわけで、まあアメリカでポケモンに負けちゃうのは当然なのでした)
そうそう、主人公より相手のボス? の方が格が上、というのも似てますし、ヒロインが美人で---小生の好み入ってますが、監督の好みでもあるに違いない---、ただし役者としては大根というのもある意味で共通しています。
ついでに、エンディングもそっくりかも(ただしこれは劇場公開版 Bladerunner の話。Kingdom of Heaven も本来のエンディングは今のバージョンとは違うらしい)。
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リドリー・スコット監督映画。予告を観た時には、エルサレムを舞台にしたイスラムとキリスト教国の戦い(十字軍)ということで、プロパガンダ映画かと警戒。次いで字幕がわかりにくい…という話を聞き、警戒していたが、あちこちから聞こえてくる評判で、いい映画らしいので観に行った。 青がきれい…。絵の青(夜明け前、夕暮れ時)、土の質感、首筋から飛び散る血の赤。 12世紀始め。物語は、フランスの寒村から始まる。鍛冶屋(オーランド・ブルーム)の元に、父と名乗る十字軍騎士がたずねてくる。... [続きを読む]
受信: 2005/06/09 17:02:57
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コメント
baldhatterさん。
読みごたえのある感想でした。思わず、そうそう!と膝を打つ感じです。
投稿: ふ | 2005/05/23 17:19:42