♭社会における"おばさん"
生まれて以来(ほぼ)ずーっと同じ地元に生活しているので、近所のおじさんおばさんとのお付き合いは、もちろん自分の生きてきた時間と同じくらいに長い。
そんな地元の、特に"おばさん"たちについて不思議でならないことがある。それは、30年40年前におばさんだった方々が、その後あんまり"おばあさん"にならず、今でもやっぱり"おばさん"であることだ。
もちろん見かけで多少は老化しているんだけど、あいかわらず元気だし(これは自分の母親も同じだ)、会ったときの対応もちっとも変わらない。つまりは、50男をつかまえて、いまだに子ども扱いしてくださるということ。
ウチの子らとも、冗談まじりに、「○○神社の裏かどこかにきっと、不老不死の水がわき出る泉か何かがあって、あの人たちはそれを飲んでるんだよ」などと言っていたが、年末の今日ふと思い当たったことがある。
たとえば今60~70歳代の方々は、私が子どもだった40年前には、20~30歳代だった計算になる。その方々は、当時子どもだった私にとって、「近所のおばさん」だった。けっして「お姉さん」ではない。
どんな風に「おばさん」だったか言うと、近所の子ども達に好ましくない言動があると、それをきちんとたしなめたのだ。
私自身も何かの折に、自分の母親があまりモノを知らないみたいな言い方をしたことがあって、そしたらあるおばさんが --- この方は今でもたいへんお元気で、いまだに私を子ども扱いする筆頭なのだ ---、「そんな言い方をするもんじゃない。自分は中学までしかいかずに働いて、その後お前たちを育ててこれだけの学歴を与えてくれているんだから」というようなお叱りを受けた。今でもそのことをよく覚えている。
そんな、当時の自分たちにしてみたら「煩い」だけでしかなかったが、今でもその教えが身に染みついているような年長者。それが、単なる年齢のうえでではなく
社会の中で機能する「おばさん」
という存在だったのではないだろうか。その記憶が抜けないからこそ、この方々は私にとっていつまでも「おばさん」なんじゃないだろうか。
うん、この仮説はいいかもしれないな。
それでも、その方々がフィジカルにとっても元気なのはやっぱり謎なんだけど......
10:28 午後 独語妄言 | このエントリ | コメント (2) | トラックバック (0)
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